Merry Christmas & Happy New Year !  村松さんからのご挨拶です | 私たちの50年!!

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1962年5月にサントス港に着いたあるぜんちな丸第12次航の同船者仲間681人の移住先国への定着の過程を書き残すのが目的です。

Merry Christmas & Happy New Year !  村松さんからのご挨拶です。

 

新年が皆様にとり健康でお幸せで有ります様お祈り申し上げます。

 

 在住するこの米国は多くの問題を抱えております、来る年には大統領選挙も控えており、現在のバイデン大統領の民主党政権にかわり共和党政権が返り咲くか混沌としている。いずれにしてもロシアとウクライナの戦争に加担し続け、更にイスラエルとハマスの戦いに加担支援する状況が続き、国内は長期に亘るコロナ禍、大量なる移民流入で失業、ホームレス、貧困への支援政策で国家財政が危機状況に陥っている。米国の国家の行く末はこの二つの党派によって大きく変化します。

 

 米国が50州の集合体であるため、それぞれの州が独立した州法を行使している為、連邦法に従属しない事が起きている、特に問題は選挙において民主/共和のどちらかの政党の強い州によっては、対立候補の大統領の名前を提示しない投票用紙が用意されるという他国では考えられない事が起こっている、連邦政府がどのようにこの問題を解決できるか米国市民の関心事となっている。

 

 1932年国策として満州への農業移民政策「満蒙開拓団」が開始され、1945年の終戦まで日本各地から約27万人が渡満した、この政策の企画推進をされ参与役職にあられ、終戦後石川県の「県立農業伝習農場」場長をされ、日本農業復興のための「農村更生協会」の理事をされておられた「杉野忠夫農学博士」と言う方がおられた。

 

 戦前のブラジル移民に関心を持たれ、熱帯のアマゾンで農場を経験され、戦後東京農業大学の学長になられた「千葉三郎博士」は日本の食料自給の解決と世界の飢餓解消のため農大に「農業拓殖学科」創設を願っていた、戦前の国策で満州に送り出した多くの犠牲者を出した農大のOB達のために、杉野教授に「農業拓殖学科」新設科長をお願いに石川県の農場へ出向いたと言われる。

 

 そして「杉野教授」が状況し千葉県の茂原市に1955年「農業拓殖学科」が新設された、日本を始め世界から飢餓を無くすため農業者・指導者の養成が開始された、杉野教授は「ゴリラの如く逞しく、神の如く愛と叡智を持つ人間像」を目指す教育を志した、「神の如く愛と叡智を備える人間蔵」を杉野教授が担当、「ゴルらの如く逞しい逞しい体力と精神力を鍛えた人間像」を茨城県の国民高等学校校長(満蒙開拓計画関係者)の「加藤寛治」に依頼し農場長の「栗田匡一場長」を教授として迎えた。

 

 「農業拓殖学」は戦前の満州という他国への侵略政策の失敗を糧み、この地球上から飢餓を無くすこと、人間が充分なる食を確保できれば争いがなく平和な社会を築く事が出来ると信じ、そのための平和主義を備えた農業者・指導者を育て、世界の未開発、疎開発、低開発、老開発地帯へ送り、そこに居住する人々と共存・共栄し食糧の生産に励む大使を育てる、これが「農業拓殖学科」の目的として1955年千葉県の茂原市に開設された。

 

 我々はこの学科の第5期生で1960年東京世田谷の本校に入学した、しかし1958年まで農業拓殖学科は千葉県の茂原市の分校にあった、そして1958年、林学科、畜産学科、農業拓殖学科が東京の世田谷本校へ合流された、4期生と我々の5期生は本校であったが、1期生、2期生、3期生は茂原分校におられた、我々は世田谷本校で授業を受け、農業実習は本校の向い側の現在の馬事公演農地を使って行われたが物足りず、有志の仲間数名と大先輩のいる茂原分校をよく尋ね寝食を共にし、鬼と呼ばれていた栗田農場長の厳しい実習にも参加し、校歌、応援歌、青山辺り大根踊り、猛虎放浪の歌等は夜のキャンプファイヤーを囲んで教えてもらう事ができた。

 

 1期生卒業の前年1956年に杉野忠夫教授は単身でブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、そして北米を回って1期生の受け入れ先の確保に扮装されたと聞いていた、我々の入学時には1期生は既に学科単位を卒業し、国内、海外に移住し実習をする事で実習単位を卒業し、4年間の全単位終了し卒業証書は郵送されたと聞いた。

 

 「杉野田大教授」の「農業拓殖理論」が日本国内ばかりでなく、広く世界の大学が受け入れ食糧生産こそ世界平和に繋がることを、教授され続けて広く取り上げていれば、世界中での食量は足り飢餓が無くなり人々の争いが無くなり、そして戦争もない平和で自然環境を維持していけた地球が継続できたはずである、今の世界の状況を「杉野教授」はあの世から如何に眺めておられるか、残念でならない、『人間食わずに生きらりょか』の諺通り人間には食があってこそ生き続けられる。

 

 村松(農大農業拓殖学科5期生、米国在住)