第45回 バーチャル座談会 桜便りを迎えての新春放談です。 | 私たちの50年!!

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1962年5月にサントス港に着いたあるぜんちな丸第12次航の同船者仲間681人の移住先国への定着の過程を書き残すのが目的です。

第45回 バーチャル座談会 桜便りを迎えての新春放談です。

従来の新春放談は、12月中旬より正月に掛けて開催していますが、LIVEDOORとAMEBLOのBLOGの管理運営に多忙で私たちの40年!!のホームページの主要課題を忘れてしまう程で更新を怠って居ました。知らぬ間に700万回のアクセスを通り過ぎてしまい神戸の出石さんに注意されました。

今年は新年の時期を逃してしまい3月15日の来週に開花予想が出ている東京の標準桜に合わせ第45回バーチャル座談会 桜便りを迎えての新春放談を開催させて頂く事にしました。話題が尽きるまで皆さんと愉快に語り会いたいと思いますので宜しくお願いします。TOPバターは、矢張りトロントの丸木さんからだと思いますが、今年はどんな話題から始まるのでしょうね。皆さん宜しくお願いします。はじまりはじまり!!!
写真は、近くの散歩コースの風車小屋公園の風車の前で撮って貰ったものです。

 

 

丸木で~す バーチャルででもサクラなって桜を語りたいのですが、寒いカナダでは実感がありません。今月はWBC(野球のW杯)での侍ジャパンの活躍が楽しみです。サッカーでは四強どころか八強にも残れなかった日本チームですが、野球なら優勝も夢ではなさそうです。

和田:TOPバッター丸木が1塁に出たので次は待ってましたの松栄さんでしょうか?自由に皆さん飛び出して下さい。野球なら大谷が出て来そうですね。トロントの吹雪の写真を丸木さんが送って呉れましたが桜は5月ですか?咲くまで待ってますよ。
さて―お次の番だよ。。。

松栄: 和田さん 丸木さん  みなさん
気の早い話ですね、そろそろかな、と思っていたのですが。
桜の話、ということで、もう5年にもなってしまったですが農大の先輩で、私より一回り(12歳)先輩で、沖眞一さんという博物研究会(今もあるやなしや?)で活躍され、桜の研究をされていて、親しくさせていた方がおられました。
財団法人「日本さくらの会」から招待されて2回ほど ブラジルの桜、という題材だったと思いますが、講演をされていました。
私にも、博物研究会に誘っていただいたのですが、当時はアマゾン通いで魚採りに忙しく、横目で見せていただいていました。
もう5年にもなってしまったのですが、ある日曜日、突然亡くなってしまわれました。とても親しくさせていただいてましたので、何とか沖さんの遺志を繋げれば、と思い、沖さんの残された資料など頂いて来て、今、その資料をゆっくり見せていただいています。
みなさんは、こういう資料はどうされるのでしょうか、ご本人が居られなくなったら、結局どこかに埋もれてしまうのかもしれませんが?
資料を分析など、興味のない方では理解できない、ただの紙切れ、とか古本になってしまいます。・・・それは仕方がないことなのでしょうね。
というわけで、そんな資料から、今回、一か月くらい、和田さんにご提案いただいた、さくら に関するバーチャルで、沖さんの資料より桜について垣間見せて頂こうと思います。
まず最初に、その「日本さくらの会」が発行されている「櫻の科学」という会誌の中から、面白くて為になりそうな、そして全く知らなかったこと、等を探してみました。
その中で、今回の最初の さくらバーチャル、として書かせていただきます。
当時(2004年)頃に、さくらの会会長を務められていた 白井 勲さんという方の 「さくらの話」 という研究発表から、現在の桜についての知識を今回、頂きました。
まず、さくら、という日本を代表する花であるが、明治以降ほとんど研究がされず、進歩していないのが現状なのだそうです。
これは現代までの桜に関する学問が、全て完全に誤りであった、ということの証明なのだそうです。
という観点に立てば、さくら、というのは旧式の考えを捨てれば、いくらでも新しいさくら の新型が出来るのだそうです。
さくらは、日本独特の種ではなく、中国大陸、ヒマラヤ、シベリア以南、アメリカ大陸にも沢山の種類が自生しているそうです。
しかし野生種(原種が多く)のみで観賞価値が低いらしい、しかしこれは交配によって、いくらでもきれいなさくらは作り出せるそうなのです。
中国には、もっとも多くの種類がある。(日本より多い)
品種改良のスタンスは10年から20年かかるので、気の長い研究となってしまう。
10年20年かけても成功する確率は十分の一から五分の一で、気の長い話しになってしまう、しかしこの新しい品種を開拓できれば、無限大に似たものが作り出せる。そうです。
この作業に成功すれば、早咲、中咲、遅咲、という品種もそれぞれで完成できる。
八重のものも、交配によって製作することができる。というような、桜全般の、私なんか知らなかったことが満載されていたのです。
さくらは、日本古来のもので、特に日本人には文化として定着しているようですが昔は、そういうことではなく、いつの間にか、日本人にそういう意識が定着したようで、さくらは 世界の花である、というのが基本の考え方・・・なのですがそれでも、日本人には桜は、殊の外、思い入れ、があるようですね。(沖さんの資料より抜粋)

和田: 松栄さん 桜便り有難う。LIVEDOORのコメント欄は、1回800字との事で松栄さんのコメントは3回に成ってしまいました。AMEBLOでも試して見ます。コメント数は、字数制限なしでやって行く積りですので気にしないで下さい。桜に付き本格的に勉強された沖さんの資料があるとの事で学術的な桜の話が聞けそうですね。楽しみです。何回に成っても良いので継続して下さい。楽しみにしています。
もっと砕けた話も何方か聞かせて下さい。

松栄: みなさん   今日は熱海桜の話を少し。
あたみの桜、これには2種類あって、あたみ桜というのと静岡県の河津で咲く河津桜が、あたみにも植えられているそうです。勿論あたみにもソメイヨシノはあるはずですから最低でも3種の桜が楽しめる。
あたみ桜は、早いものは大晦日頃から開花するものがあり下の名所紹介にもあるように、1本の桜の木に早く咲く蕾と、おそく咲く蕾があって、両方合わせて1っか月くらい咲いている、おかしな、楽し気なさくらだそうです。
沖さんの残してくれた「櫻の科学」2004年版11号にはそのあたみ桜の論文 「あたみ桜 の遺伝的特性」が掲載されていまして4人の方が合同で執筆されています。
結論では、この あたみ桜、というのは、カン桜(沖縄にあるカンヒ桜と日本のヤマザクラの自然交配雑種)と伊豆大島近辺で自生している おおしまさくら との雑種という同定、だそうです。
今日は既に3月5日で、既に あたみ桜 の時期は逸していますが別種である河津桜が2月から3月頃まで咲いているそうなのでそちらはまだ間に合うかもしれません。
この河津桜については、改めて書いてみる必要がありはしないかと思います。
どちらにしても、熱海というところ1月2月の寒い頃に咲く桜の代名詞みたいなところらしいです。
今、この日曜日に日本人街で買ってきた桜餅を美味しく頂きながら書いています。
買ってきた桜餅をラップで1個づつ包んで冷凍しておいたら、食べたいときに1個でちょうど1分、チンしてやれば買った時と同じ状況で、いつでも美味しく食べられるようです。
妻が先週日本から帰ってきたんですが、美味しいお茶をもって来てくれて,至福の一時が過ぎています。
さくらの香り、というのはいいものですね。

和田 松栄さん 熱海桜について勉強させて頂きました。ブラジルでもサンタカタリーナ州のラーモス移住地の桜祭りは見護なものです。大島桜が咲いていました。寒緋桜も綺麗ですね。運転免許書が2021年6月1日に切れ更新しなかったので50年近く運転していた自動車の運転を81歳で終わらし余り遠くへは行けませんが、恵子一人に世話になっています。
日本の桜を見て見たいですが、花見の写真が欲しいですね。熱海桜は、終わってしまったとの事ですので近くで見つけた日本の桜、ソメイヨシノを撮って送って下さい。それに2023年の目標と云うか遣って見たい事があれば教えて下さい。コロナ禍で飛行機に乗る機会が遠のいていますがまだ行って見たい所が有りますね。皆さんは、どうですか??? 2023年を語って下さい。楽しみにしています。メンバー全員の100名以上の皆さんにはーいだけでも良いので聞かせて下さい。宜しくお願いします。

丸木で~す バーチャルででもサクラなって桜を語りたいのですが、寒いカナダでは実感がありません。今月はWBC(野球のW杯)での侍ジャパンの活躍が楽しみです。サッカーでは四強どころか八強にも残れなかった日本チームですが、野球なら優勝も夢ではなさそうです。

和田:TOPバッター丸木が1塁に出たので次は待ってましたの松栄さんでしょうか?自由に皆さん飛び出して下さい。野球なら大谷が出て来そうですね。トロントの吹雪の写真を丸木さんが送って呉れましたが桜は5月ですか?咲くまで待ってますよ。
さて―お次の番だよ。。。

松栄: 和田さん 丸木さん  みなさん
気の早い話ですね、そろそろかな、と思っていたのですが。
桜の話、ということで、もう5年にもなってしまったですが農大の先輩で、私より一回り(12歳)先輩で、沖眞一さんという博物研究会(今もあるやなしや?)で活躍され、桜の研究をされていて、親しくさせていた方がおられました。
財団法人「日本さくらの会」から招待されて2回ほど ブラジルの桜、という題材だったと思いますが、講演をされていました。
私にも、博物研究会に誘っていただいたのですが、当時はアマゾン通いで魚採りに忙しく、横目で見せていただいていました。
もう5年にもなってしまったのですが、ある日曜日、突然亡くなってしまわれました。とても親しくさせていただいてましたので、何とか沖さんの遺志を繋げれば、と思い、沖さんの残された資料など頂いて来て、今、その資料をゆっくり見せていただいています。
みなさんは、こういう資料はどうされるのでしょうか、ご本人が居られなくなったら、結局どこかに埋もれてしまうのかもしれませんが?
資料を分析など、興味のない方では理解できない、ただの紙切れ、とか古本になってしまいます。・・・それは仕方がないことなのでしょうね。
というわけで、そんな資料から、今回、一か月くらい、和田さんにご提案いただいた、さくら に関するバーチャルで、沖さんの資料より桜について垣間見せて頂こうと思います。
まず最初に、その「日本さくらの会」が発行されている「櫻の科学」という会誌の中から、面白くて為になりそうな、そして全く知らなかったこと、等を探してみました。
その中で、今回の最初の さくらバーチャル、として書かせていただきます。
当時(2004年)頃に、さくらの会会長を務められていた 白井 勲さんという方の 「さくらの話」 という研究発表から、現在の桜についての知識を今回、頂きました。
まず、さくら、という日本を代表する花であるが、明治以降ほとんど研究がされず、進歩していないのが現状なのだそうです。
これは現代までの桜に関する学問が、全て完全に誤りであった、ということの証明なのだそうです。
という観点に立てば、さくら、というのは旧式の考えを捨てれば、いくらでも新しいさくら の新型が出来るのだそうです。
さくらは、日本独特の種ではなく、中国大陸、ヒマラヤ、シベリア以南、アメリカ大陸にも沢山の種類が自生しているそうです。
しかし野生種(原種が多く)のみで観賞価値が低いらしい、しかしこれは交配によって、いくらでもきれいなさくらは作り出せるそうなのです。
中国には、もっとも多くの種類がある。(日本より多い)
品種改良のスタンスは10年から20年かかるので、気の長い研究となってしまう。
10年20年かけても成功する確率は十分の一から五分の一で、気の長い話しになってしまう、しかしこの新しい品種を開拓できれば、無限大に似たものが作り出せる。そうです。
この作業に成功すれば、早咲、中咲、遅咲、という品種もそれぞれで完成できる。
八重のものも、交配によって製作することができる。というような、桜全般の、私なんか知らなかったことが満載されていたのです。
さくらは、日本古来のもので、特に日本人には文化として定着しているようですが昔は、そういうことではなく、いつの間にか、日本人にそういう意識が定着したようで、さくらは 世界の花である、というのが基本の考え方・・・なのですがそれでも、日本人には桜は、殊の外、思い入れ、があるようですね。(沖さんの資料より抜粋)

和田: 松栄さん 桜便り有難う。LIVEDOORのコメント欄は、1回800字との事で松栄さんのコメントは3回に成ってしまいました。AMEBLOでも試して見ます。コメント数は、字数制限なしでやって行く積りですので気にしないで下さい。桜に付き本格的に勉強された沖さんの資料があるとの事で学術的な桜の話が聞けそうですね。楽しみです。何回に成っても良いので継続して下さい。楽しみにしています。
もっと砕けた話も何方か聞かせて下さい。

松栄: みなさん   今日は熱海桜の話を少し。
あたみの桜、これには2種類あって、あたみ桜というのと静岡県の河津で咲く河津桜が、あたみにも植えられているそうです。勿論あたみにもソメイヨシノはあるはずですから最低でも3種の桜が楽しめる。
あたみ桜は、早いものは大晦日頃から開花するものがあり下の名所紹介にもあるように、1本の桜の木に早く咲く蕾と、おそく咲く蕾があって、両方合わせて1っか月くらい咲いている、おかしな、楽し気なさくらだそうです。
沖さんの残してくれた「櫻の科学」2004年版11号にはそのあたみ桜の論文 「あたみ桜 の遺伝的特性」が掲載されていまして4人の方が合同で執筆されています。
結論では、この あたみ桜、というのは、カン桜(沖縄にあるカンヒ桜と日本のヤマザクラの自然交配雑種)と伊豆大島近辺で自生している おおしまさくら との雑種という同定、だそうです。
今日は既に3月5日で、既に あたみ桜 の時期は逸していますが別種である河津桜が2月から3月頃まで咲いているそうなのでそちらはまだ間に合うかもしれません。
この河津桜については、改めて書いてみる必要がありはしないかと思います。
どちらにしても、熱海というところ1月2月の寒い頃に咲く桜の代名詞みたいなところらしいです。
今、この日曜日に日本人街で買ってきた桜餅を美味しく頂きながら書いています。
買ってきた桜餅をラップで1個づつ包んで冷凍しておいたら、食べたいときに1個でちょうど1分、チンしてやれば買った時と同じ状況で、いつでも美味しく食べられるようです。
妻が先週日本から帰ってきたんですが、美味しいお茶をもって来てくれて,至福の一時が過ぎています。
さくらの香り、というのはいいものですね。

和田 松栄さん 熱海桜について勉強させて頂きました。ブラジルでもサンタカタリーナ州のラーモス移住地の桜祭りは見護なものです。大島桜が咲いていました。寒緋桜も綺麗ですね。運転免許書が2021年6月1日に切れ更新しなかったので50年近く運転していた自動車の運転を81歳で終わらし余り遠くへは行けませんが、恵子一人に世話になっています。
日本の桜を見て見たいですが、花見の写真が欲しいですね。熱海桜は、終わってしまったとの事ですので近くで見つけた日本の桜、ソメイヨシノを撮って送って下さい。それに2023年の目標と云うか遣って見たい事があれば教えて下さい。コロナ禍で飛行機に乗る機会が遠のいていますがまだ行って見たい所が有りますね。皆さんは、どうですか??? 2023年を語って下さい。楽しみにしています。メンバー全員の100名以上の皆さんにはーいだけでも良いので聞かせて下さい。宜しくお願いします。

古谷です。
出生数80万人割れの衝撃、無能な政治・行政が生み出した悲劇
棺桶に片足を突っ込んだ超高齢の私などには、とっくに「用無き事」ですが、生産能力旺盛な若き世代に、掲題の如き憂うべき問題が有るとすれば、これは国家として由々しき政治・社会問題です。
* 給与水準が低いから、共働き・時間外労働が必須である。
* 幼稚園・保育所・託児所などの養育環境が貧弱で、子供を産みたくても産めないか、産んでも託児出来る場所が無く、共働きを断念せざるを得ない。
上述以外にも、子供を産めない原因が有るやも知れませんが、何れにせよ、人口減少は、国家存亡に影響する重大問題です。
聞けば、中国も韓国も同様に人口減少と言う問題を抱えているとの事。軍事に金を使わなくても済む様な外交関係の構築を図るべきです。高速ロケット弾購入に金を使って、人口が減っては、国が滅びます。ハイ。完。

杉井 古谷さん 日本の出生数の減少は養育環境や供与水準だけの問題ではありません。
女性の総合職が増えて男性社員と同等の待遇と責任を与えられ、女性管理職も増えているので、キャリアアップを目指す女性にとっては子供の養育で邪魔されたくないという風潮がある様です。総合商社では女子社員の海外出張や海外駐在もある時代になっており、子育ては難しい状況です。女子社員は結婚したら退職して専業主婦になるというのは昔の話で、今や事務補助などは派遣社員が担う仕事になっています。結婚しても共稼ぎが主体なので、いつまでも子供を作らずに二人だけの時間を過ごしたいという風潮も出生数減少の一因です。
中国、韓国の出生数減少は就職難と低賃金です。中国では大学新卒の20%しか就職出来ないので、働かずに気の向いた時だけバイトする「寝そべり族」が増えて社会問題になっています。中国の工場では時給9元(180円)の求人にも応募者が殺到する程です。韓国でも就職難で、日本企業への求職が増えています。こんな中国や韓国の状況に比べると日本はまだ人手不足と言われる状態ですが、意識の変化で出生数が減少しているのは国力衰退になり由々しきことです。

杉井さん 古谷です
私の現役時代(26年前に定年退職)と違って、現在は女性の総合職が増えていると聞きますが、男女全社員及び女性社員の何%でしょうか? 仕事に溺れて(?)生涯未婚の儘過ごす女性、又は仰せの如く、既婚女性でも子供を産まないのは、全体の何%でしょうか?
私が勤めていた会社 (商社)でも、総合職の女子社員は総じて晩婚気味でしたが、皆結婚し、子供を産んでいました。総じて、外大卒が多く、専攻語の国への出張・駐在勤務があったので、婚期が遅かったのですが、皆結婚しましたし、子供も産んでいます。尤も、商社は、総じて給与水準が高く、勤務環境も良いので、子供を生めたのかも知れませんが・・・。
私は、日本の人口減少の原因は、弊前信で述べました「低い給与水準」「劣悪な養育環境」だと思っています。完。 

丸木で~す 補欠で入学し首席で卒業した大学同級の女性が当時の名門商社トーメンに入社したら、高卒と同じ制服を着せられたので即日退職して許婚の病院長と結婚されました。イギリスとフランスで育ち英語もフランス語も自由に話せるので海外出張や駐在するつもりが当てが外れたそうです。その加藤病院は全日空ホテルが建つまでは泉佐野で最も大きな高層建築でした。出張途中で関空のホテルに宿泊した際に会うたら、息子二人が東大卒で長兄が医者で家業を継ぎ、次男が伊藤忠勤務とか。トーメンは豊田通商に吸収合併され消滅したそうですね。
新設当時のの経済学部同期生は二百人で女性は二人でした。もう一人は廃校になった教育学部からの転入生で同じ転校生と学生結婚、亭主は豊田通商に入社して役員になって定年退職。ちなみに藤本義一も同じ転入生で、大阪女子大の学生と学生結婚でした。

和田: 途中ですが制限の1万語近くになりましたので杉井さんのコメント以下は、その2に続けます。

 

私たちの40年!! あるぜんちな丸同船者寄稿集 (nikkeybrasil.com.br)