≪天皇の命を救ったのは?≫ 久し振りの古谷さんからのお便りです。 | 私たちの50年!!

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1962年5月にサントス港に着いたあるぜんちな丸第12次航の同船者仲間681人の移住先国への定着の過程を書き残すのが目的です。

≪天皇の命を救ったのは?≫ 久し振りの古谷さんからのお便りです。

 

丸木さん

 古谷です

 

長らくご無沙汰しておりますが、その後、肺の具合は如何ですか?

御身ご大切に願います。

 

扨て、貴信にあります「 天皇の命を救たのが東條さんだったそうです」はマッカーサー連合軍極東総司令官ではなかったのではありませんか? 

 

会談時、昭和天皇は、「わが身はどうでも良い。国民の命を救って欲しい」と申され、てっきり「わが身の助命」の嘆願に見えたと思ったマッカーサー司令官は、天皇のお言葉に驚き、感銘したとの逸話が残っています。完。

 

 

丸木で~す
日本に現地法人設立の為、日本に赴任した際に雇った僕の片腕になった梅谷君は極東裁判での主任弁護人の息子でした。カーテン等の社屋の内装をやってくださっとのが東條首相の長男が社長されてた三菱自動車での同僚の白土さんでした。当時の日商岩井がバグダッド支店再開に白土さんの息子さんがイラクに赴任されて空いてたマンションをテレビや冷蔵庫なも含め居抜きでレントしました。ご両人から間接的に伝え聞いたので信憑性は不明ですが天皇の命を救たのが東條さんだったそうです。キーナン検事は首相でなく大元帥陛下の処刑を求刑してたとか