『哀れなるものたち』 | yoshi's drifting weblog -揺蕩記-

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私の一番好きな言葉、揺蕩(たゆた)う。……
日常の、ふとした何気ない出来事について、
その揺蕩う様を書き留めていきます。

今月の1本目、『哀れなるものたち』を見てきましたよ。

 

 

 

 

予告編で走ってましたけど全くのノーマーク映画で、観る予定はなかったんですが、3方向からのお勧めがありましたので見てきた次第。

 

 

感想は、……う〜ん、実に難しい映画でございましたね。

 

 

面白い?つまらない?

 

 

いや、つまらなくはないです。

 

 

面白かった。

 

 

ただ、なんというか、とてもアイロニカルな内容が含まれてるので、どう捉えて良かったのかが判らないというか、合ってたのだろうかという一抹の不安もあったりして。

 

 

表題の「哀れなるものたち」って誰?って考えるんですが、まあ4人の男性のことだと思われるのです。

 

 

父親に解剖学の実験にされた博士、博士の助手でフィアンセを寝取られた男、寝取ったものの彼女の破天荒ぶりに破滅してしまう男、そして彼女の元夫である軍人、の4人。

 

 

総じて言えるのは、男の所有欲とか支配欲とかの愚かさ。

 

 

でも、その愚かさの中心には、エマ・ストーン演じるこの女・ベラがいるのでは?とも思うと、一概に全てが男の罪なのではないのでは?なんて思ってしまったりもするわけです。

 

 

貧しい人々に施しをしようとして見ず知らずの乗組員にお金を託す、っていうのは完全に無知でしかないし。

 

 

女の無知もまた「哀れなるもの」なのでは?と。

 

 

ギリシャへの船旅の道中で知り合う老婆と黒人男性が実に哲学的だったり、フランスの売春宿の老婆が身も蓋もないけど非常に現実的な生き方を示してたりして、つまり経験と知識を重ねた女性は強いのだ、と。

 

 

それがまたベラの無知との対比になってたりして。

 

 

そしてベラもまた様々な経験をして知識を蓄えていけばいくほどに、強くなっていくわけなんですが。

 

 

ギリシャに向かう船のビジュアルの奇妙なポップさもあれば、博士の住居にあるどこか禍々しい機械のそれとか、世界観はなかなかのエンタメでしたね。

 

 

ウェス・アンダーソン的なイメージもあれば、キューブリック的なイメージもあったりして。

 

 

馬の頭だけついてる自動車型馬車とか。

 

 

実に奥深い。

 

 

そんな映画でございました。

 

 

ではでは。