『教養としてのアントニオ猪木』 | yoshi's drifting weblog -揺蕩記-

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私の一番好きな言葉、揺蕩(たゆた)う。……
日常の、ふとした何気ない出来事について、
その揺蕩う様を書き留めていきます。

私が最も敬愛する時事芸人ことプチ鹿島氏の最新著書『教養としてのアントニオ猪木』を読了しましたよ。

 

 

 

 

一言で言えば「アントニオ猪木とはなんだったのか?」ということを、ずっとプロレスを見続けてきたプチ鹿島氏の視点で読み解いていく?というか考察していく本なんですが、ちょっとでもプロレスを知ってる人なら思うはずなのが、

 

 

そんなこと解るのか?

 

 

ということ。

 

 

アントニオ猪木とはなんだったのか?なんて命題に答えなんて絶対に出ないし、昨秋に猪木が亡くなってしまったことで文字通り「墓場まで持ってかれた」わけでして、それでも猪木のプロレスが私たちに教えてくれたものをプチ鹿島氏独自の読み比べや時事ネタなどを織り交ぜて考察していく内容となっております。

 

 

その考察・読み比べの視点がもう本当に面白くて面白くて、1ヶ月かけて読むつもりが1週間で読破してしまうくらいに没頭してしまいましたよ。

 

 

猪木のプロレス史を紐解いていくようなものではないので、多少の知識は必要になってくるとは思います。

 

 

IWGP構想とか平壌の祭典とかイラクの人質救出事件とかスポーツ平和党とか統一教会問題とか。

 

 

そういった最低限の猪木知識は必須になるんですが、そこさえ押さえてあれば、もうあとは怒涛の面白さが用意されていて。

 

 

そして、この本を読んで鵜呑みにするのではなく、この本を起点にして自分なりの猪木論を構築していく、それもまたプロレスの醍醐味なわけで、そんな面白さをしっかり味わえる一冊でございました。

 

 

ここ最近、とある女性議員さんがXでポストした「プロレス芸」なる言葉に、新日本プロレスの木谷オーナーが反応して抗議したり、それを機にプロレスファンが同調したり自制したり、果てには「ミソジニー」だのなんだの、大荒れになったりして。

 

 

こんな時に猪木ならなんて言うか?

 

 

答えは「何も言わない」。

 

 

世間に対して自分の情念は訴えかけるけども、世間の反応に対しては言い訳しない。

 

 

どう解釈してくれても構わない、と。

 

 

それがプロレスの面白さ。

 

 

というわけで『教養としてのアントニオ猪木』堪能いたしました。

 

 

さて次。

 

 

満を持して坂本龍一の本を読もうかと思いますが、年末の忙しい時に読むのはきついかもしれないので、少考しておきます。

 

 

ではでは。