日本の交通・旅行の歴史を散策してみる | よしひろ よしちゃん 鉄道写真館

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よしひろよしちゃんをご利用いただきありがとうございます。不定期で私が撮影した写真を投稿します。

みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。 

今回は少し鉄道から離れ日本の交通全般を見ていきたいと思います。

2022年は、日本に鉄道が誕生してから150年であります。




★JR東京駅
日本を代表し中心といえる駅ではないでしょうか。


★JR東京駅 0キロポスト
ここから全国各地へ長距離列車から近距離列車まで数多く発着しています。

人類が誕生してからを振り返れば、まだまだ鉄道の歴史は浅いです。鉄道が開業するまで、つまり江戸時代までは何処へ行くのも徒歩で移動していたというのは皆さんご存知でしょう。

その中でも一番有名なのは、1601年に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結んた街道の1つ東海道や中山道をはじめとする五街道です。

それでは五街道の起点を見てみます!



★日本橋
東京都中央区の日本橋川に架かる橋で東京駅からも徒歩で行ける場所にあります。

ここが五街道の起点つまり日本の交通の中心でありました。

なお街道は現在の国道に継承され似たような場所を通っています。

★日本国道路元標
日本橋には日本国道路元標が今も日本道路及び交通の中心だと実感できます。



★国道1号
東海道は国道1号、中山道は国道17号などになっていて、いずれも起点はここ日本橋です。


★日本橋付近にあるさまざまな石碑
昔も今もこの付近は、すごく栄えていたと実感できます。

近くには、銀行・郵便局や百貨店・オフィスが並んでいます。

今回は東海道を中心に旧街道の魅力を感じながは日本交通の発展を見ていきたいと思います。

●東海道とは
五街道の1つで起点は日本橋、終点は京都府京都市の鴨川に架かる三条大橋です。東海道五十三次とよく言われご存知の方も多いでしょう。

先程も記載しました。東海道は国道1号に継承されたほか。これも皆様よくご存知のJR東海道本線や東海道新幹線も東海道と名乗り旧街道とほぼ沿っています。昔も今も東京と京阪エリアを結ぶ重要な道であります。

今、東京駅から京都府まで新幹線で約2時間15分。在来線(東海道本線)で9時間弱。自動車(国道)で15時間前後。そして旧街道を使い歩くと2週間かかります。これを昔の人は歩いて何日もかけて旅行していたんですよね!

ここでもう一つ街道をご紹介します。
中山道です。東海道と同じく起点は日本橋。終点は三条大橋ですがルートが異なり東海道は南回り・海側(太平洋側)経由に対し中山道は北回り・内陸経由となっています。

★日本橋付近
日本橋を出ると早速、同じ京都の三条大橋を向かう街道ですが枝分かれしていきます。

ここから全ての宿場町を順番に紹介すると面白いと思いますが、当サイトは鉄道また関西メインであることなどから割愛し東海道の魅力、街道の魅力を見つつ現在の鉄道をはじめとする交通と比較していきたいと思います。

それではまず主な用語をご紹介します。

●宿場

★関宿
幕府が公認した街道の中継地点であります。
東海道五拾三次、東海道には53つの宿場町があります。

宿場町内に本陣や旅籠などがあります。

●本陣


★草津本陣(草津宿)
参勤交代の大名また公家など身分の高い人が宿泊した旅館です。このほか本陣の予備として脇本陣がありました。






★草津本陣 内部
格式が高く内装はとても立派です。

●旅籠屋



★旅籠玉屋(関宿)
一般の旅人が利用した宿泊施設です。









★旅籠玉屋 内部
2食つきの旅館で料理は美味しかったでしょうね。

このほか食事は自分で用意し燃料費のみを支払う宿屋。木賃と呼ばれる簡易宿泊所も存在したそうです。

本陣・旅籠及び木賃は今に続く旅館及びホテルの原型であります。

★旅館(和歌山県:旧葛城館)


★高級ホテル(東京都:帝国ホテル)


★高級ホテル(京都府:都ホテル)




★ステーションホテル(東京都:JR東京駅)



★ビジネスホテル(東京都:東横イン)


★カプセルホテル(大阪府:カプセルイン大阪)


このような形で現在は高級旅館及びホテルから格安ホテルまた近年は寝ることだけを想定したカプセルホテルまでそれぞれのニーズに合わせた宿泊施設がたくさんありますよね!

●関所


★新居関所(新居宿)
重要な場所(拠点)の宿場町に設置され通行人及び武器を取り締まる場所です。

東海道は箱根関所が大変有名だと思いますが、あちらは復元であり写真で紹介している新居関所は江戸時代の建築物がそのまま残されており貴重な遺産でしょう。



★新居関所 内部
ここで江戸時代の旅人はさまざまな取り調べを受けたんでしょうね。

このほか宿場内には各宿場へ荷物輸送の拠点である問屋場がありました。

また宿場町以外にも間の宿や立場など、幕府が非公認の町も存在しました。


日本橋(東京)を出発し一気に当サイトでは近畿地方へ進みます!

★関宿(宿場町)
先程も少しご紹介しました。東海道47番目の宿場の関宿、三重県亀山市にあります。ここはかなり街道、当時のまま残されており東海道随一の名所と言えると思います。










★関宿(まちの様子)
このような古い街並みが残されているのは、東海道で唯一だそうです。


★旅籠会津屋 
先程紹介した玉屋は資料館で内部が見学でき会津屋は食堂に改造されています。

★旅籠鶴屋
関宿内に現存する旅籠は3つでもう1つの鶴屋は何にも使われていないようでした。

関宿を端から端まで歩くのに約20分。それにさまざまな見学を加えると1日では見切れないほど見どころがあります。

★JR関西本線 関駅
関宿の最寄駅は関西本線関駅です。アレって思われた方も多いでしょう。東海道本線ではないのです。それは後にわかります。

続いて52番目の宿場へ!

★草津宿(宿場町)
先程も触れました。現存する最大級の本陣があり資料館となっていて見学することができます。


★追分道標(草津宿)
草津宿の草津本陣手前で日本橋(東京)で分かれた中山道と合流します。中山道は米原・関ヶ原方面を経由してここに来ました。つまり現在の東海道本線を沿っています。

元々鉄道創業期、東京から関西方面へ中山道を経由する計画でした。これは海から攻撃されやすいため軍事上の要請だったとか。しかし山岳部が多く工事が難航したほか経費削減のため現在の東海道経由となりました。

そして名古屋〜草津間が中山道経由になったのは、東海道にある鈴鹿峠の工事が難航するからとされています。関ヶ原も大変だと思いますが・・・

そこから数年後に関西鉄道(JRの前身)により名古屋〜草津間を東海道経由する路線も誕生します。それが現在の関西本線と柘植駅から草津線であります。


★JR草津駅
現在も東海道と中山道(東海道本線と草津線)の乗り換え客で草津駅はいつも賑わっています。


以前にもご紹介しました。草津駅前には日本旅行発祥地があり旅行代理店の原点ともいえる誕生の地であります。



★うばがもちや本店
鉄道唱歌にも出てきますよね。

【鉄道唱歌 東海道38】

彦根に立てる井伊の城  草津にひさぐ姥が餅  かはる名所も名物も  旅の徒然のうさはらし 


★うばがもち(姥が餅)
草津名物であります!
現在の本店は国道1号沿いにありますが、かつては東海道沿い草津宿出て大津方面にありました。


★草津の立場茶屋跡
かつて姥が餅が売られ旅人たちが休憩する茶屋だったのでしょうか。

今は鉄道で素早く行ってしまうわけですが、当時は物凄く時間がかかった代わりにさまざまな観光地などへ立ち寄り楽しむことができたんですかね〜もちろん美味しいものを食べたり!


ここに何やら石碑があります。ここは追分となっています。

●追分とは
道が枝分かれする場所のことであります。

東海道から分かれる矢橋街道。メイン街道から分かれることから脇街道などと呼ばれることがあります。

急がば回れ!ということわざ有名ですよね!
ここが語源とされています。

なぜなんでしょうか?
草津宿のつぎは大津宿ですが、日本最大の湖である琵琶湖を越えなければなりません。

しかし当時、湖に橋を架ける技術などなく琵琶湖を避けて大津へ向かいます。


★瀬田の唐橋
琵琶湖から流れる唯一の瀬田川に大津方面と行き来できる橋が架けられました。

瀬田川はこの後、宇治川及び淀川と名前を変え大阪湾に流れこみます。

しかし草津からわざわざ瀬田の唐橋を経由しては時間がかかりますよね。

先程の草津の立場茶屋跡前にあった追分で矢橋街道を通り途中から船で琵琶湖を渡るという経路を使えば距離を短縮できます。

急がば回れを辞書などで調べると、危険な近道よりも遠くても安全な道を選ぶ方が賢明であると出てきますが、語源は船で渡るか、歩くかという意味だったそうです。

実際、歩くより天候に左右される船の方がリスクありそうですよね。


★近江大橋
かつて矢橋街道から船が往来していた場所には現在、近江大橋があり今は瀬田の唐橋を通らず近江大橋を経由すれば早く安全な行くことができるでしょう。


★大津宿
東海道五拾三次最後の宿場町である大津宿。
一部昔のまま残されている場所があります。本陣や旅籠などは数々ご紹介しましたので、ここでは日本最古級の遊郭の遺構が残っていますので紹介したいと思います。

●遊郭とは
女郎屋が集まっている地域のことです。1957年の法改正により現在は公式にはありません。







★柴屋町遊郭
数々の遺構が残っていますが、廃墟だったり社員寮として余情を送っているような雰囲気で保存や公開をしている場所ではないようです。

さっき記載しました。東海道の話から逸れますが遊郭は公式には廃止されましたが、非公式ではまだ現存しているのです。


★飛田新地(飛田遊郭)
これは料亭という扱いを受けており料亭内での客と仲居との自由恋愛ということになっているのです。

なお特殊な事情から暗黙のルールがあります。詳しくは他ページなどでご検索ください。ルールを守れれば安全で楽しい地域であります!

それでは本題に戻ります。
大津宿を出発し次はいよいよ終点の京都:三条大橋です。

その前に最後の難関である逢坂山越えを果たすと追分があります。

★髭茶屋追分
左に行くと大阪方面(高麗橋方面)右に行くと京都方面(三条大橋方面)になっています。

ここで京都方面へ行かず大阪方面に行き東海道五拾七次という場合もありました。

話がややこしくなるので、後ほどご紹介したいと思います。

髭茶屋追分を過ぎてしばらくすると長い東海道五拾三次の旅も終わりです!





★三条大橋(京都)
現在も多くの人々で賑わう町です。修学旅行などで来られたことがある方も多いのではないでしょうか?

ここで東海道五拾三次は終わりです。せっかく三条まで来ましたので少し京都の名所をご紹介します!

★五条大橋(京都)
三条大橋と同じく鴨川に架設され京都を代表する橋であります。なお国道1号はここを経由しています。



★清水寺
五条大橋から近くにあるのが、とても有名な清水寺です。日本の旅行史(巡礼)で一番古いとされる西国三十三所の第16番札所です。


★二寧坂・産寧坂
清水寺の参道として有名な場所です。三条・四条・五条などは徒歩圏内ですから、時間があればゆっくり楽しめます。

それでは先程少し触れました。東海道五拾七次のお話を!髭茶屋追分に引き返しましょう。


★髭茶屋追分
左に行くと大阪方面(高麗橋方面)右に行くと京都方面(三条大橋方面)になっています。

髭茶屋追分から大阪方面(高麗橋方面)へ分かれる街道を京街道といいます。

大坂と伏見に城を築いた豊臣秀吉が2つの城を最短距離で結ぶため淀川沿いに整備した道です。

ここで京都方面へ行かず大阪方面に行き京街道の4宿を加えて東海道五拾七次という場合もありました。

それではここからは、京街道(東海道五拾七次)を経由し大阪方面を目指します!

髭茶屋追分から京街道に入り少し離れた場所ですが日本交通史で欠かせないものがあります。

最初から疑問に思われた方もいらっしゃるでしょうか。東京と関西を結ぶものは、東海道・東海道本線・東海道新幹線・国道1号と記載しましたが、もう1つ代表的な経路がありますよね!

そうです!高速道路ですね。




★名神起工の地
東海道から少し離れた旧山科駅付近(現:地下鉄小野駅付近) で1958年に日本初の高速道路である名神高速道路の起工式が行われた場所があり石碑などがあります。

つまりここが高速道路発祥の地なのです。
そして名神高速道路は先行して東海道新幹線開業より1年早い1963年に栗東インターチェンジ(滋賀県)から尼崎インターチェンジ(兵庫県)まで開通しました。


★大津サービスエリア
また大津サービスエリア上り線が日本初のサービスエリアとなっており現在も当時の建物が使われています。

そして次々と高速道路は開通し東名高速道路も1968年までに開通し東京と関西を繋ぐ重要な役割を担うこととなりました。

当時、交通は鉄道主流の時代で東海道本線(在来線)がパンク状態だったため高速化も含め東海道新幹線が開通しました。

1969年には東海道本線及び東海道新幹線の補完として高速バス(夜行バス)の運行が開始しました。


★初代ドリーム号
現在も東京と関西を結ぶ重要な役割を持っています。時間はかかるけど、安く利用できるため人気ですよね!

大津及び京都:山科周辺は昔も今も交通の重要拠点ということがよくわかりました。

そして名神高速道路に沿っていくと京街道最初の宿場。伏見宿周辺に到着します。

★伏見桃山城
この建物は復元されたものですが、面白いのは近鉄(近畿日本鉄道)のグループ会社が建設したことです。お城のある遊園地として桃山キャッスルランドが1964年に開業。しかしUSJのオープンやレジャーの多様化また少子化などの影響で入場者数が減少し2003年に閉館してしまいました。現在は模擬天守のみ残され周辺から見ることができ京街道の歴史を感じ取れる1つです。

京街道の起点である髭茶屋追分から終点の高麗橋まで約55km。意外と距離があります。

★新快速列車(JR西日本:東海道本線)
京都駅から大阪駅までJR西日本の看板列車で普通列車扱い(特別料金のいらない列車)新快速列車で約30分。髭茶屋追分の最寄りである山科駅から高麗橋の最寄りである大阪駅間でも40分弱ととても速い列車です。

この列車があることから、京都と大阪ってすごく身近な存在になっていますが、実は結構離れているんですよね。


★阪急電鉄


★京阪電気鉄道
こんな速い列車が走っている経緯は、京都と大阪間に競合他社があるからです。JRは速度が速く所要時間が短い、私鉄(阪急や京阪など)は運賃が安いというのは京阪神では有名な合言葉でしょうか。

そしてかなり飛ばしますが、京街道も終点の高麗橋に到着です。


★高麗橋
東海道と京街道あわせて57次の長い旅が終了しました。高麗橋の最寄り駅は地下鉄堺筋線の北浜駅または御堂筋線の淀屋橋駅で東海道起点の東京:日本橋と雰囲気がよく似ており、周辺には銀行・郵便局や百貨店・オフィスが並んでいます。



★京橋(大阪)
なお時代によって京街道の終点は異なり、江戸時代までは大阪城前の京橋が終点だったとされています。

そして東海道と長らく沿ってきた国道1号も高麗橋や京橋から近いJR大阪駅や梅田駅がある周辺が終点となります。


★大阪市道路元標
梅田新道交差点という場所で東京:日本橋から続いてきた国道1号は終点。ここからは国道2号となり下関・門司方面を目指します。

なお鉄道の起点は東京駅でした。そして終点は神戸駅です。これは何故なのかというと、神戸には大きな港があり拠点となったからとされています。

それでは最後に神戸駅及び新幹線の玄関口である新神戸駅に行ってみます!

★JR神戸駅(東海道本線)


★JR新神戸駅(山陽新幹線)

鉄道唱歌にこのような歌詞があります。

【鉄道唱歌 東海道65】
おもへば夢か時のまに 
五十三次はしりきて 
神戸のやどに身をおくも
 人に翼の汽車の恩

これは、あっという間にかつて人々が歩いていたものを鉄道(汽車)が運んでくれる!鉄道技術や建設に携わった人。そして鉄道はなにより素晴らしいと感じ取れる歌詞ですよね!

東京と関西を行き来する。
今日は何で行こうか?

★東海道
徒歩でいくのももちろんあり!





★東海道本線
東海道本線(在来線)もいいね!


★東海道新幹線
現在、東京関西の行き来で一番便利なのは新幹線でしょうか!?


★国道1号(一般道)


★名神高速道路・東名高速道路(高速道路)
自動車(バス)で行くのもありですね!

また今回は道について触れました。


★飛行機


★船
飛行機や船という選択肢もあるでしょう。

こんなに交通が便利な時代に生まれてこれて本当に良かったと思います!


★リニアモーターカー



★自動運転バス
今後もリニア中央新幹線の開業や自動運転化などで更に発展し便利になっていくでしょう。楽しみですね!

いかがだったでしょうか?

日本に鉄道が誕生してから150年。
たまには鉄道を使わず歩いて移動してみると素晴らしい景色や出会いそして感動があると思います。速達化で大切な人に会えるまでの時間が大幅に短縮された一方、途中の経由地は高速で通過してしまい立ち寄ることはほぼないでしょう。昔の人は移動のついでに道中観光も楽しみ今とは違った素晴らしい景色や出会いそして感動があったでしょう。

2020年には新型コロナウイルスが流行しオンライン化が急激に進みました。これまで当たり前だった移動や大切な人に会うことなどできなくなり、日々日常がどれだけ大切なのかを考えるきっかけにもなりましたよね。

ただ完全にコロナウイルス流行が終結すれば人々はこのようなことは忘れ数年経てば風化してしまうかもしれません。また更にオンライン化が進んでしまうのでしょうか。

どれだけ風化しようと時代が進もうと出会いまた会える時間は大切!ということは忘れないようにしたい。今回それを一番に思いました。

皆さんも出会いをまた会える時間を大切してくださいね!

ご覧いただきありがとうございました。
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