碓氷峠で活躍した鉄道遺産を尋ねて① | よしひろ よしちゃん 鉄道写真館

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みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。


20201118日〜20日にgo to travelキャンペーンを利用して旅行をしました。

1日目は碓氷峠の鉄道遺産を尋ねました。

今回は皆様に碓氷峠の鉄道遺産について詳しくご紹介できればと思います。


碓氷峠は皆さんご存知かもしれませんが鉄道ファン初心者の方にも楽しんでいただけるよう、碓氷峠について簡単にご紹介します。


碓氷峠とは群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある峠の名称です。標高は約960mです。この峠を越えるのは信越本線の横川駅〜軽井沢駅間(通称 碓氷線)です。

鉄道は急勾配に弱く碓氷峠を越えるのが大変だったのです。碓氷峠を越えるには66.7 ‰ とかなりの急勾配で普通に列車が上がると落ちてしまいます。そこで補助として専用機関車を連結して急勾配を乗り越えてきましたが、1997(平成9)の長野新幹線(現北陸新幹線)の開通により信越本線の横川〜軽井沢間(碓氷線)は廃止となりました。


廃止になりましたが、今も数多くの鉄道遺産が残されており、当時急勾配を乗り越えたんだと思う証を見ることができます。それでは本編へいきたいと思います。


まず新大阪駅から東京駅まで新幹線(のぞみ号)を利用、東京から新幹線(はくたか号)で軽井沢へ行きました。

しなの鉄道 軽井沢駅舎 

しなの鉄道 115


しなの鉄道とは

第三セクターで長野新幹線(現北陸新幹線)の開業でJR東日本から1997(平成9)2015(平成27)に経営分離された長野県内の並行在来線を走行する鉄道です。


現在、この駅舎はしなの鉄道の駅舎ですが、これも長野新幹線(現北陸新幹線)開通時に一度使われなくなりました。貴賓室などもある歴史的貴重な駅舎で旧軽井沢駅舎記念館という博物館になっていましたが2017(平成29)に閉館した後に、しなの鉄道の駅舎となりました。一度役目を終えた駅舎が現役復帰するなんてなかなかすごいことですよね!


なお軽井沢駅舎記念館時代に展示されていた資料などは現在も当駅構内や軽井沢観光会館にて保存されているそうです。鉄道車両も駅構内に4両程度、保存されています。

国鉄EC40形電気機関車(アプト式)


アプト式直流用電気機関車です。

碓氷線はトンネルが多く碓氷峠を越える補助機関車が蒸気機関車だと乗務員や乗客は煤煙に苦しめられ、また速度が大変遅いため峠越えに75分もかかっていました。そこで改善と輸送力の増加のためにドイツから1912年に輸入しました。また日本(国有鉄道)で初めて導入した電気機関車ですので日本初の電気機関車とも言えるとても貴重な電気機関車です。

鉄道記念物に指定されています。


ちなみに過去のブログ(鉄道博物館に行ってきました②)ED40形電気機関車を国鉄最初の国産電気機関車(本線用)と記載しました。


鉄道博物館に行ってきました②


EC40が国内最初の電気機関車

ED40が国産最初の電気機関車

となっていますのでお間違えのないようご注意ください。



アプト式とは

ラック式鉄道の方式の一つで23枚のラックレールを歯形をずらして設置したもののことで、これと機関車が噛み合いながら走行します。

下に見えるのがラックレールです。


国鉄EF632号電気機関車


輸送力の増加・速度向上のため

これまでのアプト式ではなく急勾配線をレールと車輪に寄る粘着のみで安全に押し上げ力行登板・抑速降板を可能にした電気機関車です。

この電気機関車は次回以降たくさん登場しますのでお楽しみに!

マルチプルタイパンパー

(MTT08-16SLC)

鉄道線路はレールと砕石の間に枕木で構成されていますが走行時の振動や衝撃で歪みが生じてきます。その歪みを治すしてくれるのがマルチプルタイパンパーです。

当車両はJR信越本線などで活躍し長野新幹線(現北陸新幹線)開通に伴う、第三セクター後(しなの鉄道)でも活躍した車両です。

国鉄(しなの鉄道)169系電車 クハ169-6


過去のブログのリニア鉄道館に行ってきました その⑤で紹介した165(クモハ165 108)と外観・内観共にほぼ同じですが、碓氷線用の特別仕様となっているのです。


リニア鉄道館に行ってきました。その⑤


横軽線(碓氷峠)を越えるには対策された車両しか通過できません。対策とは具体的に急勾配ですから台枠・連結器の強化や緩衝器容量の増大・車掌用非常ブレーキ装置の絞りを追加するなどです。なお対策した車両を横軽対策と呼ばれたそうです。

マヤ34 2009 (2020.06.05 撮影)

また横軽対策がされている車両にはこのように車番の左側に白い丸(Gマーク)が書いてあります。


現在はあまり意味のないマークかもしれませんが、今もGマークが記載されている車両が少しあります。


なお、この横軽対策をした車両は最大7両〜8両編成で峠を越えることができました。


横軽対策をした車両は最大で78両での峠越えが可能ですが、輸送力が足りたくなり車両数を増やす必要がありました。

これまでは全て、峠越えをする際は補助機関車に頼っていましたが、協調運転(補助機関車の制御で峠越えする電車の動力をコントロールする)車両が登場して12両まで峠越えが可能となりました。


先程、169系は165系と外観・内観共にほぼ同じで碓氷線用の特別仕様となっていると記載しました。特別仕様とは協調運転(横軽対策も施工)している車両と言うことです。


169系のほか、189系・489系などが協調運転ができる車両となっています。


車両末尾に「9」が付くのが特徴だったようです。


489系・189系も外観・内観共に481系・183系とほぼ同じになっています。


ちなみに489系は京都鉄道博物館にて189系は碓氷峠鉄道文化むらにて保存されています。

489系は過去に紹介しており、189系は次回以降紹介しますので、ぜひご覧ください!


189系

碓氷峠で活躍した鉄道遺産を尋ねて④


489系

京都鉄道博物館展示車両紹介⑤





また軽井沢駅構外にも鉄道に関する石碑などがありましたが長年展示されているため読めないものもありました。

それでは軽井沢駅(碓氷峠長野県側)から横川駅(碓氷峠群馬県側)へ移動しましょうか!


と思いましたが残念ながら先程も言いました。JR信越本線の横川駅〜軽井沢駅間は廃線になっています。


写真の駅名標は本物で碓氷線廃線前の物が旧ホームに残されています。


さっきから何回か記載していますが、改めて詳しくご紹介させていただきます。


JR信越本線は、群馬県高崎市の高崎駅から長野県長野市の篠ノ井駅までを結ぶ路線でしたが、長野新幹線(現北陸新幹線)の開通で信越本線の軽井沢駅〜篠ノ井駅がしなの鉄道となったほか、横川駅〜軽井沢駅は廃線となり現在、信越本線は群馬県高崎市の高崎駅から群馬県安中市の横川駅までと長野県長野市の篠ノ井駅から長野県長野市の長野駅を結ぶ路線となっています。


横川駅〜軽井沢駅間は第三セクターの鉄道もありません。どうやって移動するのでしょうか?

★JR軽井沢駅 JRバスのりば


バスで移動となります!

JRバス関東が運営しており碓氷線と言います。

ただあまりバスの本数はありませんので注意しなければなりません。

JR横川間〜JR軽井沢駅間が廃線になったのには大きく2つあります。1つは長野新幹線(現北陸新幹線)の開通で北陸方面の長距離列車などが運行されなくなること。2つ目は、横川駅〜軽井沢駅間を利用する乗客は北陸方面の利用者が大半で碓氷峠(横川駅〜軽井沢駅)付近だけを往来をする人はあまりいないこと。そしてそれだけのために専用の補助機関車を整備して利用するコストを考え廃線となったそうです。また横川間〜軽井沢駅間に関しては新幹線開通前までに走っていた鉄道と現在の碓氷線のバスとそこまで運行本線は変わっていないようです。


ここから(JR軽井沢駅)から横川駅まで碓氷線バスに乗車します。運賃は¥520で所要時間は34分ですが早着でした。横川駅前には碓氷峠の鉄道遺産が数多く展示されている碓氷峠鉄道文化むらがあります。そこに向かいました。また次回ご紹介させていただきます。


ご覧いただきありがとうございました。

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●続きです。ぜひご覧ください!


碓氷峠で活躍した鉄道遺産を尋ねて②