歴代天皇のうち、第26代継体天皇より前の天皇は、実在した確証がないと言われている。

しかし第21代の雄略天皇は、考古学的に存在が確認されているといわれる天皇で、宋書倭国伝にある倭の五王「武」であるとされる。

雄略天皇の実名は古事記、日本書紀ではワカタケルであり、この「ワカタケル」の名前が彫られた金錯銘鉄剣が、埼玉の稲荷山古墳から出土されており国宝となっているのだ。

鉄剣は「さきたま史跡博物館」で展示されている。

 

新型コロナウイルスの緊急事態宣言が終わり、休館していた“さきたま史跡博物館”が開館したので行ってみることにした。

 

博物館は「さきたま古墳群」の一角にある。

到着してみると、桜がまだ咲いていて綺麗、陽気も穏やかで気持ちいい。

古墳の上に桜が咲いて綺麗な「丸墓山古墳」に行ってみる。

古墳目的より、桜目的のギャラリーが結構いる。

丸墓山古墳は円墳としては日本一の規模だ。

 

【桜咲く丸墓山古墳】

 

お次はいよいよ金錯銘鉄剣が発掘された稲荷山古墳へ。

桜はないが、菜の花が咲いていて綺麗だ。

さきたま古墳群の中でも一番古い古墳で、古代の雰囲気がある。

登って、鉄剣が発掘された箇所を見学する。

 

【稲荷山古墳】

 

そしてさきたま古墳群最大の古墳、二子山古墳へ。

ここは武蔵野国最大の前方後円墳だ。

結構迫力がある。けど登ることは禁止だ。

【二子山古墳】

 

桜並木を楽しみながら、いよいよ「さきたま史跡博物館」に行ってみる。

稲荷山古墳から1968年に出土した遺物は、金錯銘鉄剣以外ものも国宝指定されていて、なかなか興味深い。

それらを見てから、いよいよ金錯銘鉄剣を見る。

 

【さきたま史跡博物館】

 

1968年に出土したこの鉄剣は、1978年にX線で検査したところ、、両面に115文字の漢字が刻まれていたことが判明する。

展示している鉄剣は、刻まれた金象嵌が再加工されており、綺麗な金色の文字が読める。

 

刻まれた文字は以下のとおり

 

(表)

辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比

(裏)

其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也

 

 

獲加多支鹵大王の箇所が、ワカタケル大王(雄略天皇)のことだ。

展示ケースには「接写撮影禁止」とあるが、係員に尋ねたら距離を置いての撮影はOKとのこと。

 

【金錯銘鉄剣】

 

博物館を出て、うららかな桜が咲き誇る古墳群を散歩がてら縦断し、今度は将軍山古墳へ。

ここでは横穴式石室が展示されている。

ここで使用されている石が、房総半島の富津で産出した房州石ということ。

関東の古墳には船で運搬しやすいこともあり、金谷近辺の房州石が使用されていることが多いのだ。

 

【桜並木の向こうに稲荷山古墳】

 

【将軍山古墳】

 

 

さて、折角なので近くにある「のぼうの城」で有名な忍城にも行ってみる。

豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方についた成田長親の居城で、石田三成等が水攻めにしたことで有名だ。

 

城址は現在博物館になっており、さっくり見学。

水攻めの痕跡としては、古墳群の中に「石田堤」の跡や、三成が布陣した丸墓山古墳の方が風情あるかもしれない。

 

 

【忍城】