基本的に怠け者で、ごまかしたりズルをしたり時にはウソをついてみたり。
運動や勉強が得意なわけでもなく、これといった特徴のない、ごく普通の平凡な小学生の女の子。
そんなまる子が主人公の「ちびまる子ちゃん」はなぜだか日本人に長く愛され、テレビ放送だけでももう30年もやっているそうだ。
正義の見方でもない、憧れの的でもない、カッコよくもない、超能力があるわけでもない。
なのにみんな大好きちびまる子ちゃん。
ところで、こんな名言がある。
「落語は人間の業の肯定である.(立川談志)」
古典落語に出てくる主人公はみな、ヒーローではない。
47人の刺客になるのが怖くって、親分の仇討ちより自分の命が大事で逃げ出してきちゃったような人達だ。
つい見栄をはっちゃった、口からでまかせを言っちゃった、怖くて思わず逃げちゃった、間違えをごまかしちゃった、飲みすぎて正体をなくしちゃった、思わずカッコつけちゃった、etc
そんな誰にでも身に覚えのある人としての「業」を、面白おかしく肯定してくれるからこそ、落語は何百年も人々の間に語り継がれてきたのだろう。
さくらももこが落語好きなのは有名な話。
「ちびまる子ちゃん」の作風に落語の神髄を重ね合わせる意図があったかどうかは不明だが、まる子が長く愛されるのには、そんな理由もあるんじゃないかと思った。