フラッシュバックという状態の表現について | 複雑性PTSD相談室*加納由絵

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大人の複雑性PTSD相談室です。
40代以上の「このまま人生を終わりたくない!」「あきらめたくない!」という方のサポートをしています。
複雑性PTSD サバイバー。
茶話会・講座・養成講座運営。
日々のことを書いています。

 
こんにちは。加納由絵です。
 
「失恋しちゃって、もう私トラウマになっちゃった!もう2度と恋愛なんてしないわ!」
という会話の中の
「トラウマ」という表現は
 
一種の比喩表現であって
それが本来の「トラウマ」ではない
ということは
 
ある程度の知識のある方なら
なんとなくは
ご存知だと思います。
 
 
それと同じように
嫌な過去経験を思い出して
不快な気持ちになることは
フラッシュバックではない
ということは
 
意外とご存知ない方が
多いのかな?と感じています。
 
フラッシュバックというのは
記憶の調節障害のひとつ。
 
日常生活の中に
突然、あたかも
そのときに引き戻されたかのように
 
その際のトラウマティックな経験下で
味わっていた感覚が再現されることが
フラッシュバックです。
 
 
ご相談の中で
相談利用者の方が
たびたび「フラッシュバック」
という表現で不快感について
お話になることがありますが
 
それは、どちらかというと
経験記憶の想起から起きる
一連の不快な感覚や気持ち
なのかな?と思います。
 
 
想起というのは
自分で自ら自発的に
 
「思い出そう」という動機の中で起こる行動
(考えることも心理の中では「行動」になります)
なので
 
嫌な気持ちになることを
意識的に何らかの目的をもって
「思い出そう」と自発的に行なっている行為。
 
自発的に行うことは
自己コントロールの中に含まれるので
 
自己制御不能なフラッシュバックとは
現れ方が異なりますよね?
 
 
いかがでしょうか。
 
 
 
ご相談を受けていると
この「フラッシュバック」という表現を
多用する方が多く
 
「思い出すことで不快になる」
その状態のことを
フラッシュバックだと
考えておられるのかな?
 
と思ったりしています。
 
そこまでこだわる必要も
ないのかもしれないのですが
 
私は、どうも
この「フラッシュバック」という表現に
違和感というか
居心地の悪さを感じてしまうのです。
 
嫌な気持ちになることを
自ら選んで想起しているのは
 
本来は、それを思い出すことで
現状の何かを回避することが
本当の目的なのではないか?と
そんな気がしてしまうのです。
 
できないならできないと
無理なら無理と言えず
 
フラッシュバックという表現を使って
自己弁護をしているような
 
何だか、そんな
潔くない感じがしてしまうのです。
 
 
往生際、というと
変な例えになりますが
 
トラウマからの回復には
ある程度の
往生際の良さというか
 
潔さというか
卑怯ではない開き直りも
必要なのかな?と思ったりします。
 
それを安心してできない関係や
環境の中にいると
 
フラッシュバックがこわい
 
という不思議な自己表現が
繰り返されるのかな?と。
 
ただの私の感想なので
「そうじゃない!」と
お感じになった方は
どうぞスルーなさってください。
 
フラッシュバックという言葉。
 
多分、私は単純に
嫌いなのだと思います。
 
では昇天