[中国人民革命軍事博物館/北京]戦車など

 

中国人民解放軍の歴代の兵器を主とした展示物が展示されている。ここでは終戦時に接収した日本軍や中国国民党軍の兵器を羅列します(・∀・)

 

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北京地下鉄1号線「軍事博物館」駅下車。

 

中華人民共和国建国十周年を記念して建築されたそうだ。セキュリティチェックはそれなりに厳しかった(コロナ禍前)

 

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95式装甲軌道車(ソキ)

昭和10年に制式した鉄道聯隊向けの鉄道用装甲車。主な任務は装甲列車の前方で偵察・警戒。軌道走行用の鉄輪のほかに軌道外走行も可能だった。固有の武装はないため乗員が軽機など携行武器を持ち込んだ。

 

 

 

九七式中戦車改「新砲塔チハ」

昭和17年、九七式中戦車の火力不足を補うために一式47ミリ戦車砲(一式47ミリ速射砲を改修したもの)に換装し、それにともなって砲塔も細長い大型のものに変えた。展示のチハは履帯のカバーが継ぎ足されている。

 

のちに功臣号と命名されたこの戦車は、日本軍が奉天の関東軍瀋陽918工廠に残置していたもの。東北人民自治軍(中国共産党が国共内戦再開に備えて東北部で編成した軍隊)が鹵獲した。102号車という名称が与えられ、正式に最初の紅軍戦車となった。錦州戦において、この一輛だけで国民党軍を突破、「功臣号」の称号を授かった。昭和24年10月1日の中共建国の式典では装甲車両群の先頭車両として参加。1959年に退役、以後、中国人民革命軍事博物館に常設展示されている。

 

元々の日本製97式中戦車改との大きな差異は、前部泥除けが延長/車体後方の発動機装甲が除去されている部分。

 

 

九七式中戦車(チハ)

57ミリ砲・機銃2、乗員4名
展示のチハは履帯のカバーが継ぎ足されている。

 

 

 

 

終わり

 

 

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L3/33(イタリアの豆戦車=装甲戦闘車両)

昭和13年、中華民国(国民政府/重慶)が20輌のC.V.35を購入。ヴィッカース 6トン戦車、T-26などとともに陸軍第200師団に配備されて対日戦に投入された。国共内戦でも使用するも中国共産党軍に鹵獲された

 

 

 

 

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