[中国人民革命軍事博物館/北京]山砲・野砲など

 

中国人民解放軍の歴代の兵器を主とした展示物が展示されている。ここでは終戦時に接収した日本軍や中国国民党軍の兵器を羅列します(・∀・)

 

*

北京地下鉄1号線「軍事博物館」駅下車。

 

中華人民共和国建国十周年を記念して建築されたそうだ。セキュリティチェックはそれなりに厳しかった(コロナ禍前)

 

*

41式山砲(連隊砲)

明治43年前後に開発・採用された大日本帝国陸軍の山砲。口径75ミリ。昭和10年頃からは歩兵砲として、小改修を施した本砲が歩兵連隊に配備されたため、連隊砲とも称された。

 

 

94式山砲

41式山砲よりも小さく分解できるのが特徴の一つ。昭和10年の制式制定以降、主に山砲兵連隊(師団砲兵)の主力火砲として41式山砲を順次更新したが、大東亜戦争では41式山砲とともに主力山砲として使用された。

 

6年式山砲

輸出目的で試作した山砲で、構造は41式山砲とほぼ同じ。口径75ミリ。

 

 

出典:アジア歴史資料センター(C03010971900)外国売渡の目的を以て大砲試作の件、大正6年

 

92式歩兵砲(大隊砲)

大日本帝国陸軍の平射・曲射双方が可能な主力歩兵砲で、1個歩兵大隊に対し本砲2門を擁する大隊砲小隊が付随するため、大隊砲の通称を持つ。人民解放軍は92式歩兵砲のために砲弾を生産し、1950年代に至るまで運用し続けていた、らしい。

 

 

38式野砲(改造38式野砲?)

明治40年に制式採用された大日本帝国陸軍の野砲。野砲や山砲の生産は機動90式野砲を除いて縮小されていたため、主力野砲とした95式野砲の生産数は多くなかった。改造38式野砲(38式野砲)は完全に更新されること無く大東亜戦争の終戦まで運用が続けられた。

 

 

機動90式野砲

90式野砲に懸架装置とパンクレスゴムタイヤを装着、高速機動に耐えうる。大阪造兵廠製。機動90式野砲の初登場はノモンハン事件(昭和14年)。

 

 

95式野砲

昭和12年に仮制式制定を経て制式制定を受けた。大東亜戦争では改造38式野砲・機動90式野砲とともに帝国陸軍の主力野砲として運用された。

 

 

31年式75ミリ速射砲(有坂砲)

日露戦争(明治37年2月〜38年9月)での主力砲。

 

 

94式37ミリ速射砲(94式37ミリ砲)

昭和9年に制定された大日本帝国陸軍の対戦車砲。陸軍初の本格的な対戦車砲としてノモンハン事件(昭和14年)・支那事変(昭和12年〜20年)・大東亜戦争(昭和16年12月〜20年8月)で使用された。

 

 

41式騎砲

大日本帝国陸軍が明治44年に制式制定した、騎兵部隊用の軽量野砲。38式野砲を騎兵用に軽量化したもの。

 

 

終わり

 

*

 

 

目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(日本/その他)

目次(海外)