[中国人民革命軍事博物館/北京]榴弾砲

 

中国人民解放軍の歴代の兵器を主とした展示物が展示。ここでは終戦時に接収した日本軍や中国国民党軍の兵器を羅列します(・∀・)

 

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北京地下鉄1号線「軍事博物館」駅下車。

 

中華人民共和国建国十周年を記念して建築されたそうだ。セキュリティチェックはそれなりに厳しかった(コロナ禍前)

 

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45式24センチ榴弾砲

重砲兵連隊の主力だった攻守城砲。大正3年、第一次世界大戦における青島攻略戦ではじめて実戦に投入され、ドイツ帝国軍の陣地攻撃に威力を発揮する。満州事変(昭和6年)で奉天城の張学良軍に対して砲撃を行っている。香港攻略戦(昭和16年)では香港島要塞攻撃でも使用。満州、父島要塞、奄美大島要塞などに配備された。

 

2基展示

その1

 

 

 

 

 

 

 

 

2基展示

その2

 

 

 

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91式10センチ榴弾砲

ノモンハン事件(昭和14年)・支那事変(昭和12年〜20年)・大東亜戦争(昭和16年12月〜20年8月)における日本帝国陸軍の主力軽榴弾砲として、主に野砲兵連隊(師団砲兵)が運用した。

 

 

 

38式12センチ榴弾砲

駐退機を持たない野戦重砲兵向けの中量級榴弾砲。野戦重砲としては運動性が高かったが、ノモンハン事件(昭和14年)で性能不足を露呈。関東軍、支那派遣軍、北支那方面軍、南支那方面軍、豊予要塞などに配布されていた。

 

 

38式15センチ榴弾砲

駐退機を持たない野戦重砲兵向けの榴弾砲。野戦重砲だが実質的には攻城砲並みの機動力しか持たなかいのが最大の欠点。車載化(4式15センチ自走砲)してからは、大きな炸薬量により、米軍戦車を正面から撃破できる貴重な対戦車戦力として重宝されたらしい。

 

 

96式15センチ榴弾砲

支那事変(昭和7年〜20年8月)・ノモンハン事件(昭和14年)・大東亜戦争(昭和16年12月〜昭和20年8月)における帝国陸軍の主力重榴弾砲(野戦重砲)として、主に軍砲兵(軍司令部直轄)の野戦重砲兵が運用した。この博物館で展示している本砲は、国共内戦(昭和20年頃〜24年頃)で使用され、防盾および車輪を改造している。

 

 

 

 

4式15センチ榴弾砲

本砲は第一次世界大戦前に計画されたが、第一次世界大戦中の砲兵戦術の急速な進歩により、配備当初から戦力価値の低い(射程が短い)旧式砲となってしまった。第一次上海事変(昭和7年)を皮切りに実戦投入され、大東亜戦争の終結まで運用され続けた。

 

 

 

 

終わり

 

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