[陸軍第73師団/本土決戦]二川陣地監視所群①

愛知県豊橋市大岩町北山

 

日本陸軍は昭和19年7月、第3師団を再編成して第73師団(怒師団)を編成。浜名湖〜渥美半島地域の防衛を目的とし、本土決戦用の防御陣地の構築を行っている。

出典:戦史叢書本土決戦準備<1>-関東の防衛- 付図付表

 

具体的には、海岸沿いの丘陵地帯には水際陣地、少し内陸部には前地地帯陣地(城下トーチカ等)、最後の拠点(=主抵抗地帯)には複廓陣地を構築した。複廓陣地は弓張山山系の北山(二川陣地)に、その西側の大蔵山(岩屋緑地)には重機関銃陣地と24糎榴弾砲3門の砲台がつくられた。

 

第73師団は昭和20年2月に新設された第13方面軍に編入(師団司令部は名古屋から豊橋に移転)、防衛担当区域を浜名湖〜豊橋南方区域に縮小した。同年6月には演習も行うも連合軍の上陸は無く終戦。

 

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二川陣地は第73師団が定めた複廓陣地。湖西市〜豊橋市にかけての細谷海岸から上陸した敵軍が火打坂から旧東海道を通り、豊橋市中心部から豊川市に抜けるのを阻止する。

①戦闘指揮所は北山の北西山麓にある軍用水道(高山給水場)の敷地内

②火砲は北山の海側の山腹〜東海道を見下ろす北西の山腹に点在している(二川トーチカもそのひとつ)。

 

③北西の尾根(火打坂の上)から東に向かう尾根沿い(二川自然歩道)に、5つの監視所(観測所を含む)と地下壕(坑道)、交通壕から成る陣地。尾根沿いの道から40〜50m下がった北側の斜面に、尾根と平行して多くの地下壕(坑道)がある。

出典:伊藤厚史「学芸員と歩く 愛知・名古屋の戦争遺跡」p.104

 

 

まずは北西の監視哨というか観測所へ向かう。

 

自然道から枝道があったので入って行くと交通壕らしきものを発見。酷い藪だが何処かの調査が入ったのか、交通壕の周囲の草刈りがされていた(・∀・)

 

到着(・ω・)ノ

 

監視所(SC01)

直径3メートルくらいの凹み、出入口付近にコンクリート塊もある。海方向も旧東海道方向も見晴らし抜群の好立地。

 

 

 

 

 

 

監視所を上からみる

 

 

北西側の交通壕と接続していた。交通壕を辿ると二川陣地の地下壕(坑道)だらけ地域に行けるが、こちらは次回に行く。今回は監視所群を追うことに専念する、苦笑・・・

 

では、東山方面へ

 

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交通壕を発見、これを追うと・・・

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

 

監視所(SC02)

 

跳弾用の段々がないので覘視孔だろう。

残念ながら坑道内は埋没している・・・・

 

覘視孔から海方向をみる

 

 

出入口を探してみるが・・・なかった

 

この交通壕は二川トーチカ方面に向かっている

 

先に進む。

 

 

 

 

つづく・・・

 

 

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