[呉鎮/陸戦隊?]武者泊砲台
愛媛県南宇和島郡愛南町武者泊
戦況が悪化し、連合軍による本土決戦が現実味が帯びる。大本営は「連合軍の本土上陸は昭和20年10月初め以降、南九州か四国の高知平野を想定」した。四国は飛び石の①として攻略される可能性大とみられた。高知県沿岸から愛媛県西部沿岸(豊後水道)にかけて、陸軍の第55軍(四国防衛軍)、海軍の佐伯防備隊(防備衛所や砲台)、各航空隊および突撃隊、海軍の呉鎮第12特別陸戦隊などが防衛の任務に就いた。
昭和20年6月頃には呉鎮特別陸戦隊が編制され(同年7月に呉鎮第11/第12特別陸戦隊となる)、愛媛県には呉鎮第12特別陸戦隊は配備されたようだ。
出典:山崎善啓「土佐湾本土決戦史 米軍四国上陸作戦と四国防衛軍」P.147
愛南町大浜地区と武者泊地区に海軍陸戦隊(第2大隊)の掩蓋式砲台がある。起工・竣工不明、どの設営隊がつくったのか、運用はどの部隊が担当したのかも不明。愛媛県にも展開していた佐伯防備隊付属の砲台は、蛇崎第1/第2、大入島砲台、大島砲台、由良崎砲台、芹﨑砲台、鵜来砲台のみ。
武者泊地区には佐伯防備隊の施設「高茂崎衛所(甲)」があるが、武者泊砲台とは管轄が違うようだ。四国の呉鎮特別陸戦隊は、海軍航空隊の予科練生を中心に結成されているので、彼らには砲術は困難ではないか?陸軍の四国防衛隊が運用したのだろうか?
出典:アジア歴史センター(C08011058800)海軍省「佐伯防備隊 引渡目録」
武者泊地区には45口径10年式12糎高角砲が2門設置されたが、1門は戦後の砂防ダム工事で消滅してしまった。前出の大浜砲台と同じく配備された火砲は高角砲だが、「水平(平射)砲」のように使用する予定だったのだろうか?引渡目録では弾薬の記載が無い。
引渡目録の図録
出典:アジア歴史センター(C08011442100)海軍省「砲術科兵器目録 無者泊派遣隊」
出典:アジア歴史センター(C08011442100)海軍省「砲術科兵器目録 無者泊派遣隊」
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ウロウロしていると地元の婆様から「こっち!こっち」と登り口を案内され・・・助かりましたが、実はもっと近道あり( ˘ω˘ )
お?
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
大浜砲台はかなり痛んでいたが、こちらの砲台はほぼ無傷(・∀・)
庇を横から見る
では砲室から入室いたします(・∀・)
備砲は45口径10年式12糎高角砲
構造は前出の大浜砲台とほぼ同じで、砲室の横壁に即応弾薬庫がある。違うのは最奥右に坑道が伸びていること。
では最奥右の坑道へ
向かって左に弾薬庫?待機所?がある
コンクリート厚が薄い気がする・・・
このまま外へ出てみた
大浜砲台の露天砲台にあったものと「同型」のコンクリート製貯水槽があった。
この掩蓋式砲台を外から眺めてみる
では、再び坑道から砲室へ移動。
進駐軍が開けた穴(と思われる)
印象深い砲台である (((o(*゚▽゚*)o)))♡
では、戻ろう!
当初予定していた道(近道)
終わり
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