[粟島神社神社]40口径安式15糎砲砲身

鳥取県米子市彦名町1405(粟島神社)

 

帝国在郷軍人会鳥取県西伯郡彦名村分会に無償下附

40口径安式15糎砲砲身(三挙動)750号:1門

45口径20糎減装演習弾(廃品のもの):6個

大正12年2月、下附

昭和9年5月、忠霊塔完成

 

出典:アジア歴史センター(C08050823400)大正12年海軍省「下付1(3)」

 

 

 

 

 

 

 

 

粟島神社がある丘は標高38m。かつては島で、島全体が信仰の対象となっている。1751年~1763年(江戸時代)に粟島周辺が干拓され地続きになり、その少し後に社殿が麓から山頂へ移築された。現在の社殿は昭和11年に建てられたもの。

 

創建不詳。西暦733年頃「伯耆風土記」によると、少彦名命(一寸法師のモデルとも)が粟の穂に弾かれ、あの世(常世の国)へ渡られたため、この地は粟島と名付けられた。民話では少彦名命と知己の大国主神が粟島と名付けたとされる。神功皇后(倭建命の息子で第14代天皇である仲哀天皇の皇后)の御祈願の伝承がある。仲哀天皇が亡くなったとされる仲哀天皇9年は西暦367年と推定されているらしい。

 

後醍醐天皇(1288〜1339年)の御祈願の伝承、尼子氏の寄進(戦国時代)、米子城主代々の崇敬(江戸時代)なども記録に残る。主祭神少彦名命ほか5柱。

 

 

 

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