[所子村忠霊塔]40口径安式15糎砲砲身

鳥取県西伯郡大山町所子

 

所子村(ところごそん)帝国在郷軍人会に無償下附

装甲巡洋艦「春日」40口径安式15糎砲砲身(三挙動)745号:1門

45口径20糎榴弾砲演習弾(廃品のもの):4個

大正12年10月、忠霊塔竣工

 

出典:アジア歴史センター(C08050510200)大正11年海軍省「下付」

 

装甲巡洋艦「春日」

明治35年3月10日、アルゼンチンがイタリアのAnsaldo社に発注したジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦「リヴァダヴィア」として起工。諸事情でアルゼンチンがキャンセルしたため、明治36年12月30日に大日本帝国海軍が購入、春日と命名、翌年1月7日に竣工した。

 

日露戦争では黄海海戦、日本海海戦、樺太占領作戦に参加。第一次世界大戦では大正3年8月よりインド洋や南シナ海での作戦行動に参加。その後、2度の座礁事故を経て大正10年9月1日 に沿岸防御用の軍艦(一等海防艦)になり、火砲を下ろした。

 

春日には副砲として40口径15.2糎安式単装砲を14門設置されており、所子村に下付したのは14門のうちの1門。

 

2014年9月のGoogleMapでは砲身は直立していたが・・・・

出典:GoogleMap

 

台座に亀裂が入ったため、安全面を考慮して砲身を下ろした、とのこと。

 

45口径20糎榴弾砲演習弾は忠霊塔の四隅に立てていたが、戦時中の金属類回収令により提供したらしい、と通りがかりの婆様。

 

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現在の所子村忠霊塔

 

 

 

M.12416

 

 

STABILIMENTO ARMSTRONG POZZUOLI

アームストロング社(イタリア)ポッツオーリ工場製

 

アームストロング社(英国)の40口径安式15糎(15.2cm)単装砲は、1900年頃(明治33年頃)に建造された戦艦や装甲巡洋艦に副砲として装備された。

 

 

 

戦後、忠霊塔(揮毫:在郷軍人会会長川村景明)を慰霊塔(揮毫:福留繁元海軍中将)に替えたが、2014年9月の写真を見ると「慰」の文字のみ消滅している。

 

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一等海防艦「春日」となった春日は、昭和17年7月18日まで調査艦や練習艦などで活躍したが軍籍を除籍、特務艦春日となる。昭和20年7月18日の横須賀空襲で大破着底したため、同年11月30日に除籍。昭和23年に引き揚げた上で解体された。

 

 

終わり

 

 

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