濱坂陸軍演習場

 

鳥取砂丘の開発と保全によれば、『鳥取砂丘と福部砂丘の海岸側の大部分は、明治29年より陸軍歩兵第40連隊(鳥取県鳥取市立川町)の演習地として利用』とのこと(設立年代は諸説あり)。設立当初の演習場は、内陸の東伯郡南谷村天神野原野一帯の他、6村に跨がる「谷村演習場」だった。大正14年に鳥取砂丘の濱坂地区に「濱坂陸軍演習場」を開設。これに伴い谷村演習場は敷地借上契約を解除して閉鎖された。

 

出典:アジア歴史センター(C03012052500)陸軍省「谷村演習場敷地借上契約の件」

 

濱坂陸軍演習場は砂丘に在りながら、1日辺り1,600トンの湧水が出るため、兵舎の建設が可能だったようだ。大正15年には敷地を大蔵省から陸軍省に移管された。

 

演習で使われた30式歩兵銃(明治30年制定)、38式歩兵銃(明治38年制定)、92式重機関銃(昭和7年制定)などの銃弾が、未だに発見(発掘)されるようだ。

 

出典:鳥取市歴史博物館

 

演習場での訓練写真など

浜坂砂丘と歴史のひろば「戦争・災害」が明解。

 

戦後、大蔵省から正式に鳥取大学に移管された部分(浜坂砂丘試験地/乾燥地研究センター)が浜坂陸軍演習場のようだ。ここには演習場門柱(真偽不明)、軍用地境界標、境界柵のみ、現存している。

 

 

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濱坂演習場門柱?

 

 

演習場門柱?通用門?(真偽不明、参考まで)

 

 

門柱?の裏に境界柵がある

 

 

移設されたと思われる「陸軍省所轄地」境界石標

コンクリート製!!

 

 

境界柵

 

浜坂陸軍演習場内と思われるところ

 

 

 

終わり

 

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