[鹿島海軍航空隊]①庁舎や各種格納庫
茨城県稲敷郡美浦村大山(大山湖畔公園)
※後日、加筆予定
鹿島海軍航空隊
所属:鹿島海軍航空隊(昭和13年12月15日開隊〜昭和20年5月5日解隊)→第631海軍航空隊(昭和19年12月25日開隊〜昭和20年1月20日呉へ転籍)
任務:水上機搭乗員養成→養成・鹿島灘での対潜作戦・内地防空
飛行場開港:昭和15年(鹿島水上基地)
主力機:93式中間練習機(赤とんぼ/訓練用)、零式練習観測機、零式水上偵察機、2式水上戦闘機(防空用)
鹿島水上基地
飛行場(スベリ/滑走台):300m x 45mコンクリート、100m x 45mコンクリート
出典:国土地理院 1948/03/27(昭23) USA-R1183-97、抜粋・加工
出典:関東地方整備局 霞ヶ浦湖岸施設(元鹿島海軍航空跡)近代・土木遺産、抜粋・加筆
終戦後、鹿島海軍航空隊および鹿島水上基地は、旧制東京医科歯科大学予科(〜昭和25年)や東京医科歯科大学霞ヶ浦分院に転用された(〜平成9年まで)が、霞ヶ浦分院の閉院後は放置された。昭和49年に敷地の北部分(水泳プールの辺り)を国立公害研究所(現:国立環境研究所)に所管換えしている。
クラウドファンディングを通して霞ヶ浦分院(鹿島海軍航空隊)の跡地の整備費用を捻出、史跡公園「大山湖畔公園」として残された。2023年7月一般公開開始、当ブログはクラファン前に探索。
鹿島海軍航空隊時代の遺構:本部庁舎、汽罐棟、自力発電機棟、車庫、宿泊所、浴場、洗濯所などが残存。
鹿島水上機基地の遺構:カタパルト台座、スベリ(スロープ)が残存だが東日本震災後に亀裂等修復している。係船場(荷揚場)。
多くが建造年月日が不明。
幾度の改修を経たため正確な特定はほぼ不可能。
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隊門(正門)の門柱
1本のみ現存
軍事境界塀
軍事境界塀と自動車車庫(自動車整備庫)
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司令部庁舎
土日のみ9時〜17時開園=内部公開(・∀・)
お勧めのガイドツアーは10:00、14:00
大人800円
そのうち行きます!
司令部庁舎はコンクリート製(壁厚30センチ)、天井高4メートル以上、館内セントラルヒーティング仕様。断熱材は確認出来るが、セントラルヒーティングが整備された壁面内の構造は不明で。
スチームは隣接する暖房用汽罐場(ボイラー棟)から配管を通して各施設に送られていたようだが、汽罐場から各施設への配管や上下水道管の地下敷設は不明。
戦時中、外壁は迷彩塗装されていた。
戦後、司令部庁舎は東京医科歯科大学付属霞ヶ浦分院(予科時代も含む)に転用された。主に結核患者を中心とした病院で、結核患者以外も含めた木造の病棟は3棟で合計165床あったという。昭和20~30年代には司令部庁舎屋上に木造の建屋を増築していた(現在は消滅)。
次第に規模を縮小し、最後は入院病室として司令部庁舎だけを使用したようだ。
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司令部庁舎と退避壕?
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練兵場内にある号令台
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境界石
引込み線でもあったのだろうか?
1本を確認
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自動車格納庫(整備庫)
土日のみ9時〜17時開園=内部公開(・∀・)とのこと。
今度行ってみる!
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軽油庫(揮発油庫)
搬入搬出口は左右2ヶ所だが庫内は3部屋あるらしい。往時は盛り土をして偽装していた。
なお、背後のトタン板の倉庫は戦後のもの。
戦後は背後から軽油庫に出入りしていたようだ。
防爆壁?を兼ねた土留め(盛り土をしていたため)
右・搬入搬出口
正面に大きな扉、左と右に小さな扉があるが、向かって右側の搬入搬出口は左右の扉を封鎖している(残念)。
左・搬入搬出口
正面に大きな扉、左と右に小さな扉がある。
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向かって右側面
床下換気口?が確認出来る。
向かって左側面
昭和37年の航空写真
出典:国土地理院 1962/06/16(昭37) MKT622-C12A-15、抜粋
つづく・・・
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