[大井海軍航空隊]周辺の遺構
静岡県牧之原市布引原、他
昭和17年4月1日:海軍は牧之原台地に大井飛行場を建設(ほぼ完成)。大井海軍航空隊を開隊し、主に偵察機搭乗員・通信員の訓練を目的とした。飛行科・整備課・工作科・会計科・主計科・内務科・運用科・通信科等があった、とのこと。隊員は約2,500〜3,000名が所属していた。
昭和20年3月25日:「天一号作戦」発動により、機上作業練習機「白菊」を運用する3個中隊を編制して八洲隊(やしまたい)と命名される。同年4月6日「菊水作戦」発動、八洲隊に特攻待機下令(待機のまま終戦)。
昭和20年6月25日:菊水作戦終了、八洲隊の特攻待機を解除。以後、大井・鈴鹿両飛行場で航法訓練に従事。
出典:牧之原市ホームページ「大井海軍航空隊」より抜粋
大井飛行場(海軍)
滑走路:1,500×80メートル。
海抜約150mの牧之原台地にあり、気流も乱れやすく離着陸操作の難しい飛行場のひとつ、だったとか。特に冬は特有の「空っ風」が吹き荒れる。
配備された航空機は当初、90式機上作業練習機が主だったが、昭和19年末頃から機上作業練習機「白菊」が配備された。
戦況が悪化すると地下施設の建設が始まる。兵舎、戦闘指揮所(司令所)、弾薬庫、燃料庫、魚雷調整場、魚雷格納庫などが掘られた。昭和20年7月28日、米軍機(グラマン)の攻撃で、地上部建物の一部(司令部や倉庫、格納庫等)が被害を受けたが、対空射撃によりグラマン1機を撃墜したという記録あり。
出典:国土地理院 1946/05/22(昭21) USA-M142-A-5No3-31より抜粋
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隊門
往時の塀の裏には、大井海軍航空隊以前の茶畑時代の用水路がある。
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茶畑の中にあったはずの朝礼台(号令台)がない。通りかかった爺様に尋ねると、宅地造成で取り壊したとのこと。マジかーーーーッ!
往時は一般講堂(22)・整備科兵舎(23)・通信講堂(24)・射場講堂(25)・電探講堂(26)が整然と立ち並んでいた場所。電探講堂のみ現存、とされる(*後述)。
あ"ーーーーー(>o<)
電探講堂
唯一現存する地上の建築物で、電波探知機の習熟が行われた。
航空写真や橋の位置から考えると、、、
電探講堂ではなく通信講堂(24)ではないか?
戦後、連合軍に摂取され、米軍のダンスホールとして用いられたこともある、そうだ。現在は農林水産省の種苗管理センター。
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戦闘指揮所(司令所)
総コンクリート製、L字型(にみえる)。
戦後、茶葉倉庫(冷蔵庫)に使用されていたが放置状態が続き、所有者の都合で出入口は塞がれてしまった。この指揮所へは3方向から坑道が掘られたが、貫通したモノ(完成した坑道)があったかは不明。
屋上を探索
戦後塞がれた通気孔の他、鉄塔?の基礎みたいなコンクリート構造物もある。
空気管と呼ばれる換気孔
今回の探索は牧ノ原台地上のみ、地下壕群は未探索。
牧之原市の隣、袋井市にも地下壕群があるようで。次回、他も併せて行ってみよう!難易度高そうだけど。
終わり。