[第三海軍火薬廠朝木工場]官舎の谷

 

神奈川県平塚市にある海軍火薬廠のうち、爆薬部が昭和4年に京都府旧中舞鶴町長浜地区に移転。長浜地区工場が手狭になったため、昭和14年頃から朝来地区に再移転・拡張の準備を開始。昭和16年に移転と共に「第三海軍火薬廠」と改称された。

昭和14年8月に開設された宮城県船岡支廠が「第1火薬廠」、神奈川県平塚本廠が「第2火薬廠」、舞鶴爆薬部が「第3火薬廠」と改称。

『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』関本長三郎編著によれば、第三海軍火薬廠朝来工場は炸薬や爆薬を専門としていた火薬廠で、年間約3,000トン以上の爆薬を製造(海軍が使用した半分)した。最盛期には約5,000人(職員164人/動員学徒判明分1,209人など)が勤務していた。

 

出典:舞鶴工業専門学校「第三海軍火薬廠朝来工場が地域に及ぼした影響と現況の調査」、P.18より抜粋・加筆

 

*

別の橋を渡る

この橋もオリジナル(・∀・)

 

この谷には官舎等が立ち並んでいた、らしい。

 

 

防爆の土塁

 

 

工場や爆薬庫などは、ない。

 

防爆の土塁に囲まれた整然とした区画がつづく。

 

戻る

 

 

 

つづく

 

 

目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(日本/その他)

目次(海外)