[第三海軍火薬廠朝木工場]隧道式火薬庫/向砲熕谷32工場

 

神奈川県平塚市にある海軍火薬廠のうち、爆薬部が昭和4年に京都府旧中舞鶴町長浜地区に移転。長浜地区工場が手狭になったため、昭和14年頃から朝来地区に再移転・拡張の準備を開始。昭和16年に移転と共に「第三海軍火薬廠」と改称された。

昭和14年8月に開設された宮城県船岡支廠が「第1火薬廠」、神奈川県平塚本廠が「第2火薬廠」、舞鶴爆薬部が「第3火薬廠」と改称。

『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』関本長三郎編著によれば、第三海軍火薬廠朝来工場は炸薬や爆薬を専門としていた火薬廠で、年間約3,000トン以上の爆薬を製造(海軍が使用した半分)した。最盛期には約5,000人(職員164人/動員学徒判明分1,209人など)が勤務していた。

 

出典:舞鶴工業専門学校「第三海軍火薬廠朝来工場が地域に及ぼした影響と現況の調査」、P.18より抜粋・加筆

 

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隧道式火薬庫

 

 

 

 

 

出典:舞鶴工業専門学校「第三海軍火薬廠朝来工場が地域に及ぼした影響と現況の調査」、P.18より抜粋・加筆

 

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向砲熕谷23工場

動物霊園がある谷、防爆の土塁や切通?がある。

激藪との戦いに負けて、サクッとした探索になってしまった。

 

動物霊園

 

 

 

 

 

切通?

 

 

 

まだ、つづく・・・

 

 

 

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