[第三海軍火薬廠朝木工場]砲煩谷(ほこだに)22工場①手前

 

神奈川県平塚市にある海軍火薬廠のうち、爆薬部が昭和4年に京都府旧中舞鶴町長浜地区に移転。長浜地区工場が手狭になったため、昭和14年頃から朝来地区に再移転・拡張の準備を開始。昭和16年に移転と共に「第三海軍火薬廠」と改称された。

昭和14年8月に開設された宮城県船岡支廠が「第1火薬廠」、神奈川県平塚本廠が「第2火薬廠」、舞鶴爆薬部が「第3火薬廠」と改称。

『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』関本長三郎編著によれば、第三海軍火薬廠朝来工場は炸薬や爆薬を専門としていた火薬廠で、年間約3,000トン以上の爆薬を製造(海軍が使用した半分)した。最盛期には約5,000人(職員164人/動員学徒判明分1,209人など)が勤務していた。

 

戦後、連合国軍へ引き渡されたのち、陸上自衛隊が昭和42年まで一部引き継いだ。一方、昭和25年に大蔵省からの払い下げで日本板硝子が工場を建設している。残りの土地のうち、平坦地は住宅地・学校・公園などに転用されたが、山間の地はほぼ手つかずのまま現存している。

 

出典:舞鶴工業専門学校「第三海軍火薬廠朝来工場が地域に及ぼした影響と現況の調査」、P.18より抜粋・加筆

 

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砲煩谷(ほこだに)22工場

砲煩谷(ほこだに)22工場

なぜか「ロシア工場」と呼ばれる砲炸薬整形工場。同じような構造の建物が、縦に少し離れてある。これが谷の手前側にある(下記図の赤丸)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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前出と同じ建物っぽいが、更に荒廃している

 

 

 

 

 

 

さらに奥へとつづく・・・

 

 

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