[舞鶴要塞]槇山砲台

※後日加筆予定

 

槇山(まきやま)砲台

起工:明治31年(1898年)11月6日

竣工:明治33年(1900年)11月5日

備砲:28糎榴弾砲×8(4座8門)、15糎臼砲×4(2座4門)

備砲据付:28H→明治34年5月〜明治41年9月、15M→明治33年7月〜同年9月

標高:28H→483メートル、15M→481メートル

備考:西北方750メートルの標高150メートルの地に低地観測所あり

廃止:①大正2年廃止予定、②大正3年〜昭和3年数次に亘り営造物除籍(全部除籍)

 

出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」、抜粋

 

出典:国土地理院 1948/10/13(昭23) USA-M1184-A-24、抜粋・加筆

 

出典:アジア歴史センター(C03022387400) 陸軍省「廃止砲台の兵備一部撤去の件」大正4年

 

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槇山砲台は大正2年廃止予定になり、大正3年〜昭和3年数次に亘り営造物除籍(全部除籍)。戦況が悪化した昭和19年頃、陸軍の槇山砲台跡地に海軍の槇山防空砲台の設営が開始された。陸軍時代の諸施設を転用ないし破壊、新設されたようだ。

 

戦後、NHKの電波塔、娯楽のためのハンググライダーの基地(槇山公園)になる。

 

槇山砲台金岬砲台は「槇山公園(槇山砲台)」と途中まで同じ軍道。全行程約5キロのうち、約3キロ地点の分岐点を北へ行くと金岬砲台。そのまま直進すれば槇山砲台に行ける。

 

対向車が来ないことを祈りながら、幅の狭い軍道を上がって行く

 

幅狭の軍道をあがる

28糎榴弾砲の砲側庫②がドーーーーンと現れる。

 

左翼15M×2ー15M砲側庫(上部に観測所)ー右翼15M×2ーー砲側庫⑤ー砲座④ー砲側庫④ー砲座③ー砲側庫③ー砲座②ー砲側庫②ー砲座①ー砲側庫①ーー平坦地

 

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28糎榴弾砲×8(4座8門)

砲側庫②

向かって右が砲座①、左が砲座③

 

昭和19年頃につくられた槇山防空砲台(海軍)電探基地?が砲座①の奥にあり、この動線角堡のために埋めてしまったようだ。現在、電探基地?は「神崎ハンググライダー着陸地」になっている。

 

砲座①

砲床は埋められているが、左側の横墻(というか砲側庫の外壁)につくりこまれた即応弾薬置場は、一部だが見ることは出来る

 

28糎榴弾砲

出典:佐山二郎「要塞史」p.461

砲側庫の改築(案)

実行されたかは不明

出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」

砲側庫③

 

砲座③

原型を留めているが、多角形のコンクリート製基礎があるので、昭和19年頃に置かれた槇山防空砲台(海軍)12糎高角砲の砲座かもしれない。

 

 

砲側庫⑤

 

 

 

木枠が現存?

 

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15糎臼砲×4(2座4門)

砲側庫(両端)と観測所付属室(中央)

3連の掩蔽部の右と左に15Mの砲座があったと思われる。

 

15糎臼砲

出典:佐山二郎「要塞史」p.265より抜粋

 

階段をあがると観測所

 

 

 

 

 

終わり

 

 

 

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舞鶴要塞

 

舞鶴湾は山に囲まれ、リアス海岸且つ湾口は狭く湾内は広く多くの艦船が停泊出来るため、海軍は軍港に最適な天然の良港として、ここに明治22年に舞鶴鎮守府の設置を決定する。呉と佐世保を整備後、日清戦争の勝利により清国からの賠償金の一部が舞鶴の軍港建設費用に充てられ工事が開始された。明治32年末に軍港の土地造成工事はほぼ完成、明治34年10月1日に舞鶴鎮守府が開庁した。以後、舞鶴海軍工廠の工事も開始する。

 

軍港の防禦のため、砲台や弾薬本庫など諸施設の築城は、明治30年11月の葦谷砲台から開始された。明治35年の吉坂堡塁の竣工、明治36年10月の備砲完備で舞鶴要塞は完成した。

 

ワシントン軍縮条約の締結(大正12年8月)により、舞鶴鎮守府から要港部へと格下げ、舞鶴海軍工廠は工作部に格下げになる。次第に軍縮条約の効力が下がり、日本は昭和8年3月に国際連盟を脱退する。陸軍は新井崎に新井崎砲台の築城を決定、昭和9年7月に着工する(昭和11年5月竣工)。条約失効の昭和11年末に工作部は工廠へ再び格上げされ、昭和14年には要港部が鎮守府に再び格上げされた。

出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」

 

出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」

 

葦谷砲台

起工:明治30年11月1日

竣工:明治32年8月28日

備砲:28糎榴弾砲→克式12口径28糎榴弾砲×6(3座6門)

標高:208メートル

備考:明治32年4月備砲見直し

 

浦入砲台

起工:明治31年6月26日

竣工:明治32年2月28日

備砲:斯加式30口径12糎速射加農砲×4(2座4門)

標高:32メートル

 

金岬砲台

起工:明治31年7月20日

竣工:明治33年7月19日

備砲:24糎加農砲×4→克式35口径中心軸21糎加農砲×4(4座4門)、12糎速射加農砲→克式35口径前心軸15糎加農砲×4(2座4門)

標高:21K→213.25メートル、15K→199/207メートル

備考:明治32年8月と10月備砲見直し。21Kは由良要塞今川口で使用予定も今川口の築城中止により流用。

廃止:①大正8年21K×4門を兵備表から取除、②昭和8年全部を兵備表から取除、③昭和10年9月全部除籍、④昭和16年備砲撤去

 

槇山砲台

起工:明治31年11月6日

竣工:明治33年11月5日

備砲:28糎榴弾砲×8(4座8門)、15糎臼砲×4(2座4門)

標高:28H→483メートル、15M→481メートル

廃止:①大正2年廃止予定、②大正3年〜昭和3年数次に亘り営造物除籍(全部除籍)

 

建部山堡塁

起工:明治32年9月1日

竣工:明治34年8月31日

備砲:12糎加農砲×6(3座6門)→12糎加農砲×4(2座4門)

標高:313.1メートル

備考:明治32年10月備砲見直し

廃止:①大正8年兵備表から取除、②大正15年廃止決定、③昭和3年除籍

 

吉坂堡塁

明治33年7月20日

明治35年11月20日

備砲:15糎加農砲→克式35口径12糎加農砲×2(2座2門)、15糎加農砲→克式35口径12糎加農砲×6(3座6門)、9糎臼砲×6(2座6門)

備砲(付属堡塁):十二糎加農砲 2門

標高:12K→184.6メートル、12K→240メートル、9M→232メートル

備考:明治34年9月備砲見直し

除籍:①大正8年兵備表より除去、②昭和10年全部除籍、③昭和10年9月備砲撤去

 

新井崎砲台

起工:昭和9年7月5日

竣工:昭和11年5月20日

備砲:克式35口径中心軸21加農砲×4(4座4門)

標高:60〜79メートル

 

 

 

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