[舞鶴要塞]葦谷砲台
※後日加筆予定
葦谷(あしだに)砲台
起工:明治30年11月1日
竣工:明治32年8月28日
備砲:28糎榴弾砲→克式12口径28糎榴弾砲×6(3座6門)
標高:208メートル
任務:前方一帯の海面を射撃し、敵艦の軍港に接近若しくは侵入せんとするを防支す
備考:明治32年4月備砲見直し
出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」、抜粋
出典:国土地理院 1948/10/13(昭23) USA-M1184-A-24、抜粋・加筆
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瀬崎に至る左側、標高208メートルの地に築城された。
佐山二郎「機関砲 要塞砲 (続)」によれば、明治28年、威海衛(中国/山東半島)の劉公島砲台で鹵獲したクルップ社製隠顕式28センチ榴弾砲を固定式に改修した克式12口径28糎榴弾砲を設置した。
厠の基礎はオリジナル
まず2連の棲息掩蔽部が現れる。
2連の棲息掩蔽部は中央通路を挟んで左右に配置されている。棲息掩蔽部は全て閉塞されているのが残念。
中央通路、正面は砲側庫②
出典:浄法寺朝美「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」、p.212より抜粋
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砲座と砲側庫
砲側庫②から左翼観測所、そして砲側庫②から右翼観測所の順に歩く。
砲側庫②
砲側②と③は出入口を封鎖されている(扉など戦後のもの)。
砲側庫の改築(案)
実行されたかは不明
出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」
砲側庫の換気孔
砲座②
砲側庫③から砲座③を経て左翼観測所方面
砲側庫③
写真右は砲座②
砲座③と左翼観測所下の掩蔽部
砲座③
克式12口径28糎榴弾砲が2門設置されていた
左翼観測所下の掩蔽部
奥が観測所付属室(通信室/指令室)、右が砲側庫
砲側庫④
伝声管
砲側庫②から右翼観測所下の棲息部をみる
砲座①は右側が埋められて、そこに道をつくられてしまった。
砲座①の左側の砲座
右側の砲座は埋められてしまった。。
胸墻の上
写真の右は砲座、左は海
戻りますか( ˘ω˘ )
麓にある関西電力の舞鶴火力発電所
近くに舞鶴水雷衛所がある(・∀・)
終わり
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舞鶴要塞
舞鶴湾は山に囲まれ、リアス海岸且つ湾口は狭く湾内は広く多くの艦船が停泊出来るため、海軍は軍港に最適な天然の良港として、ここに明治22年に舞鶴鎮守府の設置を決定する。呉と佐世保を整備後、日清戦争の勝利により清国からの賠償金の一部が舞鶴の軍港建設費用に充てられ工事が開始された。明治32年末に軍港の土地造成工事はほぼ完成、明治34年10月1日に舞鶴鎮守府が開庁した。以後、舞鶴海軍工廠の工事も開始する。
軍港の防禦のため、砲台や弾薬本庫など諸施設の築城は、明治30年11月の葦谷砲台から開始された。明治35年の吉坂堡塁の竣工、明治36年10月の備砲完備で舞鶴要塞は完成した。
ワシントン軍縮条約の締結(大正12年8月)により、舞鶴鎮守府から要港部へと格下げ、舞鶴海軍工廠は工作部に格下げになる。次第に軍縮条約の効力が下がり、日本は昭和8年3月に国際連盟を脱退する。陸軍は新井崎に新井崎砲台の築城を決定、昭和9年7月に着工する(昭和11年5月竣工)。条約失効の昭和11年末に工作部は工廠へ再び格上げされ、昭和14年には要港部が鎮守府に再び格上げされた。
出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」
出典:陸軍「現代本邦築城史 第2部第5巻 舞鶴要塞築城史」
葦谷砲台
起工:明治30年11月1日
竣工:明治32年8月28日
備砲:28糎榴弾砲→克式12口径28糎榴弾砲×6(3座6門)
標高:208メートル
備考:明治32年4月備砲見直し
浦入砲台
起工:明治31年6月26日
竣工:明治32年2月28日
備砲:斯加式30口径12糎速射加農砲×4(2座4門)
標高:32メートル
金岬砲台
起工:明治31年7月20日
竣工:明治33年7月19日
備砲:24糎加農砲×4→克式35口径中心軸21糎加農砲×4(4座4門)、12糎速射加農砲→克式35口径前心軸15糎加農砲×4(2座4門)
標高:21K→213.25メートル、15K→199/207メートル
備考:明治32年8月と10月備砲見直し。21Kは由良要塞今川口で使用予定も今川口の築城中止により流用。
廃止:①大正8年21K×4門を兵備表から取除、②昭和8年全部を兵備表から取除、③昭和10年9月全部除籍、④昭和16年備砲撤去
槇山砲台
起工:明治31年11月6日
竣工:明治33年11月5日
備砲:28糎榴弾砲×8(4座8門)、15糎臼砲×4(2座4門)
標高:28H→483メートル、15M→481メートル
廃止:①大正2年廃止予定、②大正3年〜昭和3年数次に亘り営造物除籍(全部除籍)
建部山堡塁
起工:明治32年9月1日
竣工:明治34年8月31日
備砲:12糎加農砲×6(3座6門)→12糎加農砲×4(2座4門)
標高:313.1メートル
備考:明治32年10月備砲見直し
廃止:①大正8年兵備表から取除、②大正15年廃止決定、③昭和3年除籍
吉坂堡塁
明治33年7月20日
明治35年11月20日
備砲:15糎加農砲→克式35口径12糎加農砲×2(2座2門)、15糎加農砲→克式35口径12糎加農砲×6(3座6門)、9糎臼砲×6(2座6門)
備砲(付属堡塁):十二糎加農砲 2門
標高:12K→184.6メートル、12K→240メートル、9M→232メートル
備考:明治34年9月備砲見直し
除籍:①大正8年兵備表より除去、②昭和10年全部除籍、③昭和10年9月備砲撤去
新井崎砲台
起工:昭和9年7月5日
竣工:昭和11年5月20日
備砲:克式35口径中心軸21加農砲×4(4座4門)
標高:60〜79メートル
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