[民間防空壕]八幡浜第1防空壕
愛媛県八幡浜市91-2幸3(尾崎てんぷら屋/斜め前)
八幡浜市の愛宕山の裾にある防空壕。戦後、この防空壕の出入口付近に貝ボタン工場が建築され、防空壕は工場の倉庫として使われ、やがて存在が忘れ去られた。だが2001年に工場が閉鎖され更地になると、防空壕が再び現れた・・・。
施主:八幡浜市?八幡浜市警察署?(財源は篤志家の寄付、約5,000円)
起工:昭和15年5月
竣工:昭和16年2月
請負:愛媛県協和会八幡浜支部(在日朝鮮人の八幡浜にある団体で会長は八幡警察署長)
趣旨:皇紀2600年記念事業
構造:総コンクリート巻で内部は漆喰塗り(U字型/コの字型)
設備:電気・上水道完備(2つの洗面台付き)
大東亜戦争開戦前(昭和15年5月)に着工とは「?」だが、皇紀2600年記念事業なら納得。なお四国で初めて造られた防空壕とのこと。
*昭和15年は神武天皇が即位(紀元前660年)してから2600年目。『紀元二千六百年祝典記録』に掲載されているだけでも、政府主催以外に内閣や各省、各地域や諸団体などがそれぞれ主催する奉祝記念行事が約13,000件開催されている。
八幡浜第一防空壕は平屋、総コンクリート巻、内部は床から1m以上を漆喰塗り、電気・上水道完備(2つの洗面台付き)。出入口上部に焼き付けタイルの扁額を入れている。陸軍/海軍の地下壕に劣らず立派な地下壕だ。
地域有志の方が鍵の管理をしており、訪ねると快く開けてくださった。木の扉には鍵を持つ方々の名前など記載されているので現地で確認いただきたい。
出入口は2ヶ所あり爆風避け(クランク)も完備。
では出入口(正)から入る。
出入口部分(右/厠が無い方)は幅約1.2m×高さ約1.8m。入ると爆風避け壁がありその先には大広間がある。この防空壕、部屋はこの大広間だけしかない。
うーーーーーむ。
住民が逃げ込む防空壕というより、皇紀2600年記念事業ということから御真影(天皇陛下の肖像画)を置くための壕、という印象。防空壕の面積の多くを大広間(幅約4m×奥行き約10m×高さ約2m強)が占め、大広間の奥に一段上がった"舞台"のようなものがあり、舞台の奥の壁に御真影を納めたであろう凹みがある。
戦況が悪化した昭和18~19年には病院の薬品庫として使われたようだ。以後、住民の避難壕として使われた。200人収納可能だったとのこと。
大広間の最奥、1段高い"舞台"から出入口(正)の爆風避けをみる。
"舞台"の天井部は天井高が低くならないよう天井を上げてある。
出入口(正)に扉→前室(前室から大広間へ側にも扉)→大広間。前室にあるはずの扉は残念ながら喪失、とのこと。
*
大広間から反対側の出口にいく通路が1本のみ、ある
通路沿いに、洗面台があり、最後に厠がある。
陶器製の土管が仕込まれている
左手に洗面台
奥が出入口(副)だが、鋭角に曲がる
出入口(副)のすぐ内側には(換気や排水を考えてか)厠がある。
大便器のところ
上部が半円形の木扉がある(便宜上外されている)。
厠から通路(大広間方向)をみる
そのまま前進
コーナー上部に大きめの換気孔
出入口(副)を外から。
地域住民の方々に感謝いたします。
おわり
*
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