[呉鎮/佐伯防備隊]鶴見崎望楼/鶴見崎防備衛所(甲)

 

大分県佐伯市鶴見大字梶寄浦

 

明治27年7月に日清戦争が始まると、翌年8月に海軍は全国13ヶ所に海軍望楼の設置指令を発す。

横須賀鎮守府:長津呂(静岡県/伊豆半島南端)、布良(千葉県/館山)、

呉鎮守府:日御碕(和歌山県/紀淡海峡)、潮岬(和歌山県/紀伊半島南端)、角島(山口県/日本海)、鶴見崎(大分県/豊予海峡)

佐世保鎮守府:野母崎(長崎県/長崎半島)、大瀬崎(長崎県/福江島)、志自岐崎(長崎県)、佐多岬(鹿児島県)、壱岐崎(長崎県/壱岐)、韓崎(対馬)、神崎(対馬)

 

海軍望楼は日露戦争に備えて急増したが、大正12年10月19日の佐多望楼の撤廃を以てすべて廃止された。

出典:海軍大臣官房『海軍制度沿革・巻3』昭和14年、P.698より抜粋・加筆

 

鶴見崎望楼は明治27年8月4日、豊予海峡に伸びる鶴見半島の先端部(九州最東端)、標高273m地点に設置された。明治35年『大分縣案内』によれば、煉瓦石造り高楼だったようだ。大正10年6月17日に廃止された。

 

*

鶴見崎望楼/鶴見崎防備衛所

昭和10年頃につくられた防備衛所は、明治時代建造の海軍望楼を吸収しているようにみえる。白い塔は鶴御埼灯台で、初点灯は昭和56年3月と新しい。

 

出典:アジア歴史センター(C08011403500)「引渡目録 佐伯防備隊」昭和20年8月31日

 

引渡目録

出典:アジア歴史センター(C08011403500)「引渡目録 佐伯防備隊」昭和20年8月31日

 

鶴見崎防備衛所は水中聴音機とそれに連携した機雷を備える甲種防備衛所。豊予海峡(豊後水道)に水中聴音機と機雷を敷設、陸上に防備衛所や見張台が設置されていた(水中聴音機のみを備える衛所は乙種)。

出典:アジア歴史センター(C08011403500)「引渡目録 佐伯防備隊」昭和20年8月31日

 

防備衛所時代の構造物(凹み)

機器類を入れていたのだろか?

 

 

海軍望楼/防備衛所の出入口

望楼の建物から入るようだ。望楼は変型6角形(だったかな?監視窓は6ヶ所)

 

望楼には、のちの防備衛所時代の鱗状の塗装(偽装の塗装跡あり)が確認出来る。鶴見崎防備衛所のコンクリート構造物全てに鱗状の塗装あり。

 

*

聴音所

外壁には擬装用の石が貼られており、オリジナルのまま(石は半分くらい剥がれ内部は改築され最東館?展示館(富永一郎漫画館)になっていたが、展示物は移転して閉鎖中。ガラス窓から内部はみえるが・・・

 

 

聴音所の先端に見張所がある。

見張所は鉱滓レンガ製

 

聴音所を上から。

聴音所に隣接する見張所の上に「鶴見崎自然公園展望ブリッジ」が建つ(@_@)

 

「鶴見崎自然公園展望ブリッジ」の支柱部分、鉱滓レンガ製の見張所が確認出来る。見張所が破壊されないだけマシ、と考えるべきか。。

 

 

 

 

 

*

鶴見崎の先端に行ってみる。

日振島か佐田岬かわからないが、ぼんやり見える。

 

 

ここにも海軍?の施設があったようだ。

 

 

 

 

 

 

戻ろう

 

 

 

*

鶴見崎防備衛所の諸施設

 

 

門柱?を上から

もう1本は落ち葉堆積でほぼ埋まっている

 

 

 

 

 

 

 

この辺り、門柱付きの塀があり、烹炊所などの諸施設の基礎や破壊された建屋の一部が現存。海沿いには掘りかけ?の地下壕も数カ所あり。

 

 

終わり

 

 

*

大分県の海の幸(干物セット)

 

 

 

目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(日本/その他)

目次(海外)