[佐鎮/佐世保海面防備隊]カネンテ(金子手)防備衛所(甲B)

※後日、加筆します

 

陸軍の奄美大島要塞安脚場砲台敷地内の金子手(かねんて)崎。昭和15年、ここに海軍の防備衛所の建設が開始され、昭和16年に竣工したようだ。以後、安脚場砲台地域には海軍の海面砲台(40口径安式15センチIII型砲×4)や機銃陣地もあったことから、カネンテ砲台と呼ばれていたようだ。

 

出典:防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 沖縄方面海軍作戦』P.25より抜粋

 

昭和17年1月15日の佐鎮海面防備部隊命令31号。大島付近防備部隊(大島防備隊司令)のうち、海面防備部隊は船舶の他、衛所(カネンテ崎、江仁屋離、曽津高崎)とカネンテ砲台を担当した。なお、戦況が悪化すると避難してくる船舶が急増した、そうだ。

 

出典:国土地理院 1947/05/13(昭22) USA-M1001-125、抜粋・加筆

 

出典:アジア歴史センター(C08030437100) 昭和17年7月1日〜昭和18年2月28日 大島防備隊戦時日誌戦闘詳報(1)より、抜粋・加筆

カネンテ崎には、防備衛所(聴音装置や発火管制装置、有線通信装置などあり)、93式150センチ探照灯1基(→須式110センチ探照灯に×2に変更)、40口径安式15センチ砲×4、3年式機関銃×2、指揮所、兵舎、自力発電所、弾庫、火薬庫、待機所、水槽等が設置されていた。ただし陸軍時代(安脚場砲台)の諸設備を転用しているものも多く、区別がつきにくい。

 

出典:鹿児島県大島郡瀬戸内町教育委員会(2022年3月)「瀬戸内町内の遺跡3」P.114、加筆

 

海軍の海面砲台(カネンテ砲台)の位置=黄色丸

写真の手前のコンクリート構造物は陸軍時代の安脚場砲台第1砲座(砲座①)

カネンテ砲台の装備:40口径安式15センチ砲×4、須式110センチ探照灯×2、14式4.5メートル測距儀×1、移動ディーゼル直流発電機×2、戦闘指揮所。

 

カネンテ砲台への軍道は激藪化(ハブ付き)しており、探索は断念した。

 

陸軍時代の安脚場砲台第1砲座(砲座①)から約60メートル、海軍のカネンテ砲台との間(谷間)に、詳細不明のコンクリート基礎がある。海軍の発電機室のようだ。

なお陸軍の重砲兵第6連隊第4中隊は安脚場砲台に駐在し、車輪式10センチ加農砲×4門が置かれたようだが、昭和19年頃には撤退している(史料から消えた)。同中隊は大島海峡東口、奄美大島の皆津崎(安脚場の対岸)に複廓陣地などを構築して、湾口より進入する敵艦船に備えている。

 

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兵器庫

標高100m地点に在り陸軍時代の弾廠を転用している。

幅7.45m×長さ5.45m×高さ3.2m、コンクリートブロックを縦に積み上げた後、内外面をモルタルで打設している。

 

 

 

 

 

 

 

 

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防備衛所

金子手防備衛所の衛所は標高112メートル地点に建設された。大島海峡東側入口(防御海面)の外洋に面しており、三方を高さ約1.5メートルの土塁で囲まれている。陸屋根には偽装のための盛り土がある。外壁面は迷彩塗装されていた。

 

竣工当時?の写真

出典:アジア歴史センター(C08030437100) 昭和17年7月1日〜昭和18年2月28日 大島防備隊戦時日誌戦闘詳報(1)より、抜粋・加筆

 

 

 

衛所建屋は2階建の鉄筋コンクリート造

幅4m×長さ20m×1階の天井高は3m

1階に聴音室・管制室・指揮室・電信室・暗号室・蓄電池室

2階に見張所(幅3m×長さ4.5m×高さ2.3mの部屋とバルコニー)

出典:鹿児島県大島郡瀬戸内町教育委員会(2022年3月)「瀬戸内町内の遺跡3」P.127

 

出典:鹿児島県大島郡瀬戸内町教育委員会(2022年3月)「瀬戸内町内の遺跡3」P.111、抜粋・加筆

 

側面(玄関側)、迷彩塗装の痕跡が確認出来る

 

玄関

 

玄関から内部を覗く

衛所の建屋内に木造建築・・・・戦後、ここに住み着いた人が建てたそうだ。

 

裏に回る

 

 

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下の安脚場部落に住む爺様(掃除しに来た方)の許可を得て、内部に入る。

 

出典:鹿児島県大島郡瀬戸内町教育委員会(2022年3月)「瀬戸内町内の遺跡3」P.127、抜粋

 

往時は屋根はなかったと思われるが、他の部分にも束柱を支える円礫があることから高床の工法で、往時の部屋もこれと似たり寄ったり、らしい。この木造家屋はちょっと手直しすれば住めそう、住みたい(・∀・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

防備衛所内の衛所では、聴測装置により敵潜水艦等の海峡侵入を聴音・聴測し、水中に設置した機雷を管制爆発させ、その侵入を阻止する役目を担った。

衛所に設置された聴測装置と発火管制装置は、それぞれ水中捕音器と水中機雷へとケーブルで接続され岬付近に敷設されたようだ。具体的には水中聴音器(水中捕音器)は海峡入口外洋側に3基設置、92式機雷は海峡入口外に1箇所(4群)と海峡内に2箇所(3群/1群)の計3箇所に設置された。

 

出典:アジア歴史センター(C08030437100) 昭和17年7月1日〜昭和18年2月28日 大島防備隊戦時日誌戦闘詳報(1)より、抜粋・加筆

 

蓄電池室

蓄電池室は防水・防湿のため、床面は鉄筋コンクリート造アスファルトモルタル仕上げ。蓄電池装置稼働時に水素ガス及び硫酸霧が発生する可能性があるため、畜電池室内部は耐酸性塗料仕上げ、喚気孔と窓を設置している、とのこと。

 

2階

部屋は1つ、バルコニーのみ

 

 

 

 

バルコニーと隣接する探照灯へは、バルコニーの階段のところに木の板が渡されており行き来できたそうだ。

 

 

 

 

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探照灯座

衛所と隣接しており、設置標高は衛所より少し高くて標高115メートルのこと。

 

往時の探照灯

須式110センチ探照灯だろうか?

出典:アジア歴史センター(C08030437100) 昭和17年7月1日〜昭和18年2月28日 大島防備隊戦時日誌戦闘詳報(1)より、抜粋・加筆

 

現在は公園化に伴い外階段がつくられたが、往時は台座の張り出し口に階段があったらしい(階段はコンクリートで埋めたw)。

 

探照灯の台座は、幅5メートル弱の正八角形状で総コンクリート造。黄色丸にオリジナルの階段があった、とのこと。

 

探照灯座は公園造成時のコンクリートで塗り固められたww

 

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陸軍の安脚場砲台に向かいます!

さようなら・・・

 

 

安脚場での海軍の項、終わり

 

 

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奄美地方の郷土料理:豚の味噌漬け)

 

 

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