[陸軍高松飛行場]由良山格納庫壕群

香川県高松市由良町1050(清水神社)

 

旧高松空港跡地の碑(平成6年3月林地区開発協議会)

【要約】ここは昭和の後半から平成の初めまで香川県の空の玄関であった旧高松空港の跡地であるが、旧高松空港の成り立ちは地元との関わりを抜きにしては語ることができない。 

 

太平洋戦争の戦局が厳しくなる中、昭和19年1月23日(香川県木田郡)林村に陸軍省から「林村を中心に周辺三町村にまたがる約270ヘクタールに飛行場を建設する」との連絡が入った。5日後の28日、林小学校講堂に指定区域内の関係者四百余名が集められ土地の買収家屋の移転を正式に要請され、断腸の思いでこれを承諾せざるを得なかった。


移転は4月末までの極めて短期間のうちに完了し、軍は飛行場の建設に着手した。作業はすべて人力に頼るため学徒含む民間人が勤労奉仕に動員された。突貫工事の末、8月には東西滑走路が完成し9月からは軍用機の飛行訓練が始まった。しかし当初計画されていた南北滑走路は翌年8月の終戦時に至も遂に完成し得なかった。


戦後、飛行場用地については大部分が農地等として売渡・譲与され、約32ヘクタールが飛行場として残された。本格的な民間航空による利用は昭和30年5月、昭和31年には第二種空港となり、滑走路や通信施設等の整備も順次行われたが、平成元年12月に新たに建設した高松空港の開港に伴い、廃止された。その後、この空港跡地は平成2年4月に香川県が国から用地を取得した。*跡地は県立図書館やサンメッセ香川など

下の写真、黄色丸のところが由良山。

出典:国土地理院 1947/10/08(昭22) USA-M539-2-145、抜粋・加筆

 

出典:林村史編集委員会「林村史」昭和33年3月、P.129他

 

陸軍高松飛行場(陸軍林飛行場)

規模:東西2,000m、南北1,700m

滑走路:800m×30m(由良石を敷きローラーで圧し、粘土を乗せ締め付ける方式)

格納施設:滑走路西の多肥村や由良山北麓に飛行機秘匿庫5棟?(他、10キロ圏内の神社・松林・河川敷に隠蔽)

航空機:九七式戦闘機(九七戦)、四式戦闘機(疾風)、五式戦闘機(キ100)、双発の連絡機など

飛行場建設は民間主導で行っていたが、伊丹飛行場の第141野戦飛行場設営隊200人が入りトロッコ軌道が敷設され、軍直轄で工事を進めた。陸軍林飛行場がほぼ完成した昭和19年9月、明野陸軍飛行学校(明野教導飛行士団)高松隊が開隊した。当初、陸士の第2種乙種学生や留学生などが戦技訓練を開始(昭和20年3月30日訓練終了、以後、地下壕や秘匿飛行場等の工事計画や立案を行う)。

 

一方、空港建設は、昭和20年2月頃から由良山に誘導路と横穴格納庫群の建設工事が活発になる。飛行場に欺瞞のため、近郊の国民学校の生徒が制作した実物大の模擬飛行機を並べたのもこの頃。同年7月18日、明野(三重県)から新鋭の五式戦闘機(川崎)で編制された第20戦闘飛行集団(20FC)が、来たるべく本土防空戦のために陸軍林飛行場を本拠とした。20FCは高松が空襲されても航空機は温存された。

 

同年7月24日、陸軍高松飛行場は米軍機による大規模な空襲を受け、飛行場施設は壊滅的な被害を受けた。これにより20FCの主力は同年7月31日に陸軍小牧飛行場(愛知県)に移駐した。代わって第100飛行団が入る。隷下の第101戦隊は沖縄戦で消耗しておりその補充で手間取ったため、移転完了は同年8月12日だった。

昭和20年9月29日に連合国(管理は岡山に本部を置いた米第6軍第24師団第3技術大隊、のちに航空保安本部)に接収された。滑走路と平行誘導路を含む32ヘクタール以外の残余の土地は接収解除。残余の土地はただちに農地等に転用される。

 

同年11月4日、善通寺に進駐していた米軍の一部が高松飛行場に進駐。その5日後に高松飛行場内に残存していた陸軍機61、武器・弾薬が爆破された。昭和27年6月に返還。昭和30年5月に民間飛行場として供用を開始(正式な供用開始は昭和33年6月)。平成元年12月、新高松空港開港の前日に廃港。

 

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陸軍高松飛行場改め、(旧)高松空港

出典:国土地理院 1970/05/21(昭45) MSI701X-C6-7、抜粋

 

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由良山

陸軍高松飛行場の南東、平野のど真ん中にそびえる単独の山で標高120メートル。江戸時代から柱状節理の採石場(由良石)があり、戦後は大規模な掘削が行われた。

 

戦中に山麓から山腹にかけて大規模な格納壕が掘られた。山麓の格納壕跡などは戦後の宅地化で殆ど閉鎖されてしまい、中腹にある登山道際の地下壕以外は消滅したようだ(清水神社の方の話)。

 

昭和20年6月、由良山(と日山・大池など)には対空射撃部隊として独立高射機関砲第59中隊が配置された。高射機関砲陣地も採石場の拡大で消滅、とのこと。

 

由良山南側の中腹にある散策路際にある地下壕。全て「防空壕」とされているが、飛行場の用途不明の格納壕っぽい。地下壕①と②は連結工事中?

 

探索のスタートは清水神社から。

西口登山道へ向かう。

 

散策路から南側の採石場跡地

北側の採石場は山が完全にえぐれている・・・

 

 

山の上に機関砲陣地があったが、消滅

 

地下壕①

高さ・幅とも約2メートル。全長10メートルくらい。

奥で僅かに左折するL字坑道。

約5メートル西にある地下壕②と接続しようとしたか?

 

 

 

地下壕②

高さ・幅とも約2メートル。全長8メートルくらい。

全体の半分超で右折するL字坑道。

約5メートル西にある地下壕①と接続しようとしたか?

 

 

 

 

 

地下壕②から①方向

 

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地下壕③

I型の単独壕

高さ・幅とも約2メートル。全長2メートルくらい。

 

 

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地下壕④

高さ・幅とも約2.5メートル。全長30メートル弱。

コの字坑道。奥の横坑(約12メートル)には開放型の大・小の2区画(2部屋)がある。

 

東側の坑口

 

 

 

 

部屋①小

幅約2メートル、奥行約2.5メートル

奥行きを広げようとしたのか?

爆薬を装填するための細長い孔が2つある。

 

 

部屋②大

幅約7メートル、奥行約2.5メートル

 

 

 

 

地下壕④の西側の坑口

 

 

 

地下壕④の西側の坑口から(再び)入る

 

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地下壕④から陸軍高松飛行場(林飛行場)をみる。

 

 

終わり

 

 

 

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