[紀伊防備隊]伊島防備衛所(乙)
徳島県阿南市伊島町
紀伊防備隊の任務は紀淡海峡(紀伊水道)の海上防備、哨戒、海上交通の保護。管轄下に5ヶ所の防備衛所(聴音所等)を持つ。太平洋戦争前から設置されていたのは友ヶ島・伊島(徳島県阿南市)・日御碕(和歌山県美浜町)。戦時中に瀬戸崎(和歌山県白浜町)・阿波大島(徳島県牟岐町)にも設置された。
友ヶ島は紀淡海峡(航路幅11km)〜大阪湾に出入りする最終チェックポイントであるため、防備衛所(甲)となり、管制機雷を装備した唯一の防備衛所でもあった。伊島と日御碕は防備衛所(乙)で、対潜水艦兵器用の水中聴音機や磁気探知機が設置された。
出典:アジア歴史センター(C08030429200)昭和19年4月1日〜昭和19年8月31日 紀伊防備隊戦時日誌戦闘詳細(1)
防備衛所:重要港湾・海峡などへの敵潜水艦の侵入を探知するために、日本海軍は各地に防備衛所を置いた。防備衛所の標準編制は甲乙丙の3種だが、適時、機材や対応する人員を増減してして調整した。
(甲)水中聴音機2基のほか、機雷と機雷管制機1基。定員は26人。
(乙)水中聴音機2基のみ、機雷を持たず。定員24人。
(丙)水中磁気探知機4組のみ、定員17人
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伊島に行くには徳島県阿南市の答島港から離発着するフェリーに乗る。 航路の総距離は15キロで所要時間は30分。
答島港
待合室内が渋い!
伊島に到着
伊島防備衛所に関して、紀伊防備隊と第22嵐部隊による引渡目録、いい加減な図録があるので手がかりはそれなりに、ある・・・・
出典:アジア歴史センター(C08011210300) 昭和20年10月3日 復員迅速処理に伴う余剰追加軍需品等目録 第22嵐部隊
伊島防備衛所の図録
大雑把すぎる・・・(。・ω・。)
出典:アジア歴史センター(C08011197600)近畿地区施設一覧(附青図)(6)引渡目録
戦跡探知犬さんの丁寧な探索記録により場所がわかりました。DMでのやりとりも含めて改めて感謝申し上げます! 手がかりがつかめたのでYAMAPでルートを割り出してGO!デス。
港から島中央部にある貯水池を目指す。
行き方は2通り、どちらから行っても貯水池の池尻で合流する。
コンクリート敷道路を快適に進む。学校のグランドを回り込むように進んでいくと左手の山に入って行く分岐路があるので左折(真っ直ぐ行くと程なく道は右折して立派なトンネルに出てしまう)。「ささゆりロード」の看板が現れるので、あとは指示通りに。大溜谷を通るので距離は長いけど歩きやすいし景色も良いし、季節によっては山桜と固有種の百合が楽しめる。まあ百合が咲く季節は雑草とヤブ蚊で探索どころではないけど。
もうひとつは集落から當所神社(徳島県阿南市伊島町瀬戸18)をめざし、神社の鳥居の右横の道を進む。阿南市立伊島小・中学校の校舎が見え、裏門の門柱付近から山に入る道あり。此を入って登れば貯水池に出る。距離は短いがグイグイ上がって行く辛い上り坂なので、私はこちらは復路にした。
往路
復路(大池の池尻から分岐する)
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ささゆりロード
大池を過ぎて、灯台との分岐地点の峠より先までコンクリート舗装されている。
貯水池
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貯水池を過ぎると左手に部分破壊された「コンクリート塀」が現れる。
用途不明。爆風避け?
コンクリート塀の先には兵舎など居住区設備がある。雑草が生い茂り蜂も飛び交っていたため居住区の探索はしていない。コンクリートが破壊されたのは戦後の道路整備事業の一環だろう。
さらに進んで振り返り、居住区をみる・・・w
藪過ぎて断念。
道が左カーブになったところに
コンクリート製の濾過式貯水槽がある。赤矢印のところから脇道に入ると発電機室や地下壕などに行ける(が、かなりの竹藪)。
このデカい貯水槽は兵舎など居住区でつかわれた、と思われる。
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貯水槽から脇道(元々の軍道)に入る。
元々の軍道が右カーブになったところ、その先は竹林や倒竹に蔦が絡まりで進めない(この軍道を直進していくと発電機室や地下壕群に出る)。カーブの谷を無理矢理下りると朽ちた貯水槽がある。いつの時代につくられたものかは不明が、防備衛所の施設でこんなに粗い造りのものはないので、たぶん、戦後のモノ。
この貯水槽の横に地下壕③がある(下の写真、黄色丸)。
地下壕3は、ちらっとみたらかなり奥までありそうだったが、出入口が蜂のコロニーになっていて入壕は断念。
さて、この貯水槽、よくみるとコンクリートブロックを縦に積み上げた後、内外面をモルタルで打設している。奄美大島要塞安脚場砲台(陸軍)の弾廠が同じ工法。
谷を藪漕ぎして進むとコンクリート壁が現れた。道路際にあったものの続きと思われる。今はこのコンクリート塀を道路の土留め的に使われている。コンクリート塀の上には戦後に破壊した兵舎?のレンガ塊を積んでいる。どうやらこの辺りは戦後に農地となった形跡がある(今は荒廃)。
谷から平坦に整地された窪地をみる。
発電機室が見えるが、全体が何せ雑草だらけ・・・・w
うーーーん、雰囲気だけは合っている引渡図(@_@)
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発電機室?(左)、油庫?(右)
手前の円形(井戸)と四角のものは戦後のもの。
発電機は戦時中、地下壕①に移動していたのかもしれない。
この写真を撮るために30分くらい掃除をした。
発電機室
外寸で幅5メートル弱、奥行4メートル弱。
床は腐葉土などが堆積していて、発電機などを置く台や切込など何らかの痕跡があるかは不明だが、何も無かったように見えた。発電機室だが窓は三方に在り大きめ、出入口の上とその正面の窓の上にも小さな窓がある。
油庫?
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発電機室に向かって左奥(南)の扇状地に行く。
戦後、農地になったような形跡がある(今は荒廃)。
井戸
海軍標識(第19号)
地下壕①
奥行き3メートル弱だろう。
地下壕②
水没・・・
地下壕①と同規模(奥行き3メートル弱)
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このまま扇状地を上がりながら左に向かってくと、灯台エリアに出られそうだ。だがこんな感じの竹藪なので撤収。
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では、戻って灯台へ向かう。
伊島灯台は昭和31年4月1日に初点灯。戦後、防備衛所の聴音機などが置かれた重要なエリアを破壊して建てられた。
聴音室があったと思われる平坦地。基礎部分?が残っているようだが、ご覧のような藪と雑草なので探索せず。
灯台から紀淡海峡側の景色。
和歌山県側の日御碕がうっすらとみえる。なお日御碕にも防備衛所がある。
灯台の金網沿いに進むと・・・・
電池室?とされる半ば崩壊した建屋がある。
では、帰ろう!
終わり
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徳島県阿南市にて
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