す[大阪警備府]小勝島機銃陣地(移設)

徳島県阿南市橘町土井崎115-16(阿南市立ふるさと館)

 

『阿南市立ふるさと館』の建屋の裏に、第6特攻戦隊司令部があった小勝島の機銃陣地に配備されていた高角砲台座と即応弾薬置場が保存されている。小勝島は関係者以外立ち入り禁止の島になっている。

 

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昭和20年6月頃、橘湾内の小勝島には海軍第6特攻戦隊第22突撃隊が置かれた。

阿南市資料によれば終戦時は兵士が700〜800人駐留されていた、とされる(阿南市資料)。小勝島には見張り台、銃座、司令部、兵舎、地下壕などがあり、特攻潜水艇「蛟龍」などが配備されていました、と書かれている。

海軍特攻戦隊は本土防衛のために、北は仙台湾から南の南九州の太平洋南海岸線をすべてカバーする組織で、8つの特攻戦隊が配備された。横須賀鎮守府が第1と第4と第7、呉鎮守府が第2と第8、佐世保鎮守府が第3と第5、大阪警備府が第6、となっていた。特攻戦隊は蛟龍(甲標的丁型)・海龍(SS挺)・回天(六兵器)・震洋(1型と5型)からなる突撃隊で編制されているようだ。

 

 

出典:アジア歴史センター(C16120668800)第2説第5項 本土決戦の水上水中特攻戦力の編制並びに配備

 

昭和20年6月1日、紀伊防備隊の下で第6特攻戦隊第22突撃隊は編成された(司令部は田辺海兵団内)。担当海域は紀伊水道〜潮岬南岸。のちに大阪警備府隷下に編入、司令部を小勝島に移動させた。隷下に第145震洋隊が震洋5型を阿波橘に50隻、第16回天隊(昭和20年7月25日編成)が白崎に回天4隻、第13海龍隊が椿泊に海龍24隻、小勝島に蛟龍(隊名と隻数不明)と17m水雷艇2隻、小松島に魚雷艇4、とある。いずれも配備済みなのか定かではない。

 

出典:アジア歴史センター(C08011114700)嵐基地施設目録 昭和20年8月31日第22嵐部隊

 

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小勝島機銃陣地

第6特攻戦隊司令部がおかれた小勝島には、特攻戦隊を守るため、引渡目録によれば機銃陣地が2ヶ所(機銃は単装、連装、三連装など詳細不明)ある。戦後の航空写真を見ると、基地から遠くない標高69メートル地点に機銃陣地っぽい円形のものが幾つかある(ようにみえる)。

出典:アジア歴史センター(C08011114700)嵐基地施設目録 昭和20年8月31日第22嵐部隊

 

出典:国土地理院 1962/02/01(昭37) SI621YZ-C5-160、抜粋・加筆


機銃陣地の配備図などは無い(と思われる)ため、詳細不明。


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『阿南市立ふるさと館』敷地内に、小勝島機銃陣地から移設した機銃台座と即応弾薬置場がある。唯一の遺物?とはどういう意味だろう?機銃座は3基あったとか、色々言われているが。。。

 

 

銃座底盤、直径160センチ(・∀・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

噴霧器?

 

 

小勝島は西側が全て埋め立てられ、小勝島基地は四国電力橘湾火力発電所(石炭火力)になってしまった。北半分は電源開発橘湾発電所(こちらも石炭火力)がある。これにより関係者以外は小勝島に入ることが出来ない。


 

 

終わり

 

 

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