[宮古島/来間島]山砲陣地
竣工:昭和19年頃
備砲:94式山砲(75ミリ)←終戦時には未設置?
標高:約20メートル
守備:山砲兵第28連隊
構造:琉球石灰岩を掘り込み、砲口のみコンクリート補強
終戦時の宮古島陣地構築図
出典:アジア歴史センター(C11110237900)戦史資料 山砲第28連隊(宮古島)
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(山砲陣地から真っ直ぐ海岸に出たところの景色)
来間ガーの入口に「山砲陣地」の案内版がたつ。
宮古島の南西部の海岸に上陸するであろう敵軍を阻止するための山砲陣地が、海峡を挟んで対峙する来間島にある。
陣地は50メートル程離れて2門設置され、この2門間を交通壕でつないでいる。2座とも造りは同じだが首線の方向が異なり、砲室の銃口の造り方は左右対称。交通壕と急崖の間にある幅50メートル程の平坦地に、簡易兵舎などがあったようだ(藪がすごくて基礎など確認出来ず)。
左翼側の砲座から右翼側砲座をみる。
黄色の矢印は交通壕
左翼側の砲座
右翼・左翼とも砲室は4平方メートル
砲室の床部分には1メートルほどの溝があるのみ。
砲口のみ、コンクリートで補強している
では、退出
外から砲口を見る
目立たないねぇ・・・・
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右翼側の砲座
退出する( ̄^ ̄)ゞ
外からみる
では、帰ろう。
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宮古島に於ける山砲第28連隊の資料
宮古島につくられた5つの海軍砲台『平良砲台(消滅/カママ嶺公園)、海軍飛行場の砲台(消滅/詳細不明)、友利砲台(ほぼ全壊も現存)、与那浜崎の砲台(半壊で現存?)、パナタガー嶺の砲台(現存)』は、山砲第28連隊の指揮下にあった。
来間島の山砲陣地だが、敗戦後に編纂された戦史資料 山砲第28連隊(宮古島)には書かれていない。連隊が装備する山砲は99式10センチ山砲が4門、94式山砲が4門が書かれている。
出典:アジア歴史センター(C11110237900)戦史資料 山砲第28連隊(宮古島)
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宮古島教育委員会『綾道』戦争遺跡編でも紹介されている来間島の山砲陣地。こちらも前記事のチフサアブ同様、座標位置はメチャクチャだった。
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