[宮古島/来間島]チフサアブ

 

沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第30集「沖縄県戦争遺跡詳細分布調査 (V) 宮古諸島編」で紹介されていた来間島のチフサアブ。戦時中は来間島の住民の避難壕として利用した自然壕らしい。

 

(ヤシカニ?がいる密林を1時間以上彷徨う)

 

「 昭和の初め頃に来園島から石灰岩を用材として切り出していた時期があり、 この場所は火薬の保管場所として利用されていた。その時にコンクリートで入口が造られたとある。開口部はコンクリートで造られている。縦0.9m✕横0.5mの長方形のコンクリートで固められた入口が設けられている。この入口の扉と思われるコンクリートの板が内部の入口近くに放置されている」。

 

これは興味深い /(⁠ ̄⁠▽ ̄⁠)

 

宮古島教育委員会『綾道』戦争遺跡編でも紹介されているし、綾道と連動させているGoogleMapにも[戦争遺跡]チフサアブと座標付きマーキングされているので行ってみよう。ただ気になる部分もある。

・沖縄県立埋蔵文化財センターでは「来間島東側海岸と来間集落との間にある石灰岩崖下に形成された自然燥」と書かれている。

・綾道では「来間島東側海岸の急崖の中腹にある住民避難壕」と書かれている。

 

崖下?崖の中腹?

行き方(入り方)が変わるじゃないの。

 

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出典:宮古島市neo(新)歴史文化ロード 綾道 戦争遺跡編

 

探索1回目:「来間島の住民は崖上の集落の西側にある遠見台近くにある古道を下って、この壕に避難」の記述どおり行くも、古道は途中から幾重にも分岐するし道幅狭いし部分的に崩壊している上に急崖・・崖の中腹には何もなさそう。引き返す。

 

探索2回目:地図をみると海岸沿い来間漁港から西方面に「来間ガー」がある。沖縄の自然壕はガー(湧き水)がある場所と同じ標高、同じラインに多いので、自分の経験値から来間ガーに行く。来間ガーに着いたら入口に、宮古島教育委員会が設置した山砲陣地の案内板があるじゃないの(ここに描かれている地図は例の綾道と同じものだがw)。これは間違いない!来間ガーから密林に入ると荒れ果てた古道があり、これを辿っていく。ありました(・∀・)崖ではなく平坦地にwww

 

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

 

ゴツゴツした琉球石灰岩で囲まれた大きな窪地に壕はある。見つけられたのが奇跡なくらいわかりにくい。


摺鉢型の地形、みれば下方に落ちていく踏み跡があり、途中にコンクリート製の門枠がある(扉は取れて無い)。消えた扉は縦0.9m ✕横0.5mの長方形、壕内に入るとこの扉が転がっていた。

 

 

 

 

この自然壕、昭和の初めに石灰岩を用材として切り出して出荷していた頃、掘削に使う火薬を格納していた。つまり「火薬庫」として使われていたらしい。コンクリート製門はこの時の名残らしい。

 

地元では「千人ガマ」と呼ばれているようだが、200人も入れば立錐の余地がない感じ。よくみると鍾乳石は折られている。

 

 

 

コンクリート製の扉を発見

 

 

中から鍵を掛けられる仕組みのようだ。

 

 

脱出( ̄^ ̄)ゞ

 

戦時中、来間島の住民は崖上の集落の西側にある遠見台近くにある古道を下って、この壕に避難したそうだ。


現在、古道は来間島集落東端の「松の木展望台」から漁港までのルートは整備されているが、他は荒れ放題なのでご注意あれ。遭難しかけました。。。

 

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宮古島教育委員会『綾道』の位置情報

綾道は親切にGoogleMapにマーキングしているが座標位置はメチャクチャだった。毎度のことですが。

 

集落から海岸に下りられる古道は何本かある。この座長位置を信じて集落から琉球石灰岩の急崖を下りていく(『急崖の中腹にある』と書いているので)。崖の道はたいそう荒れている。かなり探したが中腹には無いようなので、来た道を戻る。中腹に200人も入れる自然壕があるのか?と疑っているし。

 

来間ガーから海沿いの密林ルートを行く。密林の中は視界が開けないし同じような景色が続いている。手持ちのGPS "Garmin"でいちいち所在確認しているが、それでも迷う。宮古島教育委員会『綾道』、有名処(=行きやすい)の遺構の座標位置はまあまあ正確だが、探索を要する戦跡はメチャクチャだ。信じるな、諸君!

 

 

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宮古島教育委員会『綾道』のマーキングと正しい位置

 

 

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