[呉鎮守府]両城の百階段/二百階段

広島県呉市両城1丁目(百階段)

広島県呉市両城2丁目(二百階段)

 

呉は平坦な土地が少なく、その平坦な土地は軍の施設や工廠に使われた。それゆえ山の裾野〜中腹にみっちりと住宅が建つ。明治から昭和にかけて両城地区の急傾斜地(最大傾斜45度?)が宅地化された。急傾斜地ゆえ、住人の高齢化問題、車が入らない、建て替えは困難などで空き家が多い。

 

百階段地区

 

百階段の地域は呉鎮守府の海軍士官・将校や軍属商人が多く住んでいた、とのこと。高さ10メートル程もある石垣を雛壇状にして宅地をつくっている。当時の決まり?では「雛壇の1段に2世帯分の家屋が建てる」だが、百段階段の地区は1段に1世帯分の家屋のみ、が多いためか全体的にゆったりとしており庭も広め。和風建物と洋館をつなぎあわせた大正〜昭和に大流行した和洋折衷の家屋、煉瓦をお洒落に積んだ外塀も残る。戦時中は背後の斜面にMY防空壕が掘られている。ほぼ一直線に延びる百階段が見事。

 

 

横の移動もなかなか大変

 

 

大正〜昭和初期に大流行した和洋折衷の家屋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*

二百階段地区

 

階段の登り口

 

二百階段(230段)の地域は呉海軍工廠の関係者が多く住んでいた、とのこと。映画『海猿』のロケ地の一つ。海猿(潜水士を目指す海上保安官)たちが訓練で、酸素ボンベを抱えて二百階段を駆け上がる。

 

 

最下部は標高5メートル、最上部は標高45メートルで二百階段はこれをつなぐ。二百段階段の地区の下部には、軍需部倉庫を転用した公共の坑道式防空壕が4つあったそうだ。

 

 

 

 

 

戦時中は両城地区の高台に探照灯(照空灯)が設置されていた。

百階段/二百階段地区ともに、空襲による被害は無かった。

 

 

 

 

 

二百階段地区の海側に有崎城跡(大歳神社)があるが、ここの直下、現在の金比羅公園に両城防空機銃砲台(25ミリ連装機銃×3)があった。遺構はわずかに砲座のコンクリートがあるくらい。

 

 

終わり

 

目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(日本/その他)

目次(海外)