[佐伯防備隊]本部②濃岡山監視哨?など

大分県佐伯市鶴谷町2-1-10(日本文理大付属高校)付近

 

佐伯防備隊は下記の図のピンクの部分。

 

出典:アジア歴史センター(C08011058800) 引渡目録 防備隊

 

濃岡山(のうかやま/現在は濃霞山)の南西側の山腹、佐伯海軍基地(飛行場)が見える位置に、案内版によれば指揮所とトーチカがある(たぶんどちらも監視哨)。山頂には見張所があった。

 

 

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監視哨?

案内版では「指揮所」で濃岡山の中腹(西端)の斜面にある。施工が粗いので戦争末期につくられたのかもしれない。

 

監視孔は5つあるが小さい。部屋は観測室とは別に2つあるようだが西側(海岸)しかみえない。出入口は2ヶ所。佐伯防備隊は特務艇隊(敗戦時には特設駆潜艇19隻、駆潜特務艇17隻など)を運用していた。この軍港を見下ろす好位置にある。

 

探索道から少し外れたところにあり、導入部は半ば崩壊。

 

 

 

 

 

 

壁の厚さは50センチくらいか。

 

 

 

 

 

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案内版ではトーチカと書かれているが、これも監視哨だろう。

 

天井に天然の石を置いて偽装している。先の監視哨(指揮所)の観測室と同じ造り壁厚も同じ(薄い)だがこちらは小さい。監視孔には跳弾用の段々がないのでトーチカでは無いし、こんなに薄い壁はたいした防禦にならず。天井部は陥没している。

 

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濃岡山の山頂

遺構は凹みのみ(。・ω・。)

 

見張所があった地点からの景色

クレーンの辺りに佐伯航空基地(水上機)のスベリ

 

佐伯防備隊の軍港(水色の屋根の建物より右)

 

 

終わり

 

 

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佐伯防備隊

呉軍港(広島)や柱島泊地(山口)、徳山港(山口)などから外洋に出るために必ず航行するのが豊後水道。昭和14年、呉鎮守府は豊後水道防衛を強化するため佐伯防備隊を発足した。佐伯防備隊は上空哨戒・対潜哨戒と撃退を任務とした。敗戦時のデータでは豊後水道に面した島嶼部に4ヶ所の見張所(要衝には9ヶ所の防備衛所)、7ヶ所の砲台を配している。

 

船舶関連では特務艇隊(敗戦時には特設駆潜艇19隻、駆潜特務艇17隻など)、上空哨戒では所属は異なるが佐伯航空隊(敗戦時には零式水上偵察機11型×11、94式水上偵察機12型×2、93式式陸上中間練習機×33、90式陸上機上作業練習機×1)が担当していた。

 

出典:アジア歴史センター(C08011403500) 引渡目録 佐伯防備隊 

 

 

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