[佐伯航空基地]佐伯飛行場①有蓋掩体壕

大分県佐伯市東浜1-6(興人佐伯工場)

 

佐伯湾に面する佐伯陸上飛行場には、「豊後水道の上空哨戒を任務」とする呉鎮守府隷下の佐伯海軍航空隊が駐留した。佐伯空は内戦航空隊の中では館山海軍航空隊に次ぐ実戦力を持っていた、とのこと。近くには海軍の水上機用の飛行場(スベリ)もある。

 

佐伯海軍航空隊は昭和9年2月15日開隊(昭和10年8月15日説などあり)。艦隊の出入港に合わせて豊後水道の航路警戒を行っていた。佐伯水陸両用飛行場は昭和14年12月1日に開港した。

陸上機用滑走路:850mx50m、450mx40m
水上機用滑走台:100mx50m、170mx50m

 

出典:国土地理院 1947/03/04(昭22) USA-M100-73、抜粋・加筆

 

連合艦隊の最後の統一訓練

昭和16年11月4日〜6日、佐伯湾に於いて、連合艦隊司令長官である山本長官査閲のもと、佐伯湾在泊中の連合艦隊主力と佐伯海軍航空隊を真珠湾の敵戦力と仮定し、飛行機隊による最終の攻撃訓練が行われた。11月17日午後には、湾内に停泊中の空母「赤城」艦上において壮行会が開かれ、翌18日、南雲忠一中将の率いる機動部隊が下船した山本長官らに見送られて、択捉島単冠湾に向けて発進した。同年12月8日未明、機動部隊は真珠湾を急襲して大東亜戦争戦争に突入した。

昭和19年末〜昭和20年始めにつくられたとされる有蓋小型掩体壕(滑走路がある飛行区域内にある)。佐伯飛行場周辺には2基が現存(うち国の有形文化財登録は1基)。いづれも同型で尾翼を収納するための半円筒状の構造体がつく海軍独特の構造。

 

見学に際し、門柱横にある興人株式会社佐伯工場の受付にその旨を伝えると、よほどのことが無い限りOKが出る。8:30~16:45

 

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文化財登録されている有蓋小型掩体壕

 

 

海軍の有蓋掩体壕の入り口上部には、垂直尾翼が当たらないよう凹み形状があるものが多いが、佐伯のものにはない。
 

 

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文化財登録されていない有蓋小型掩体壕

 

 

 

海軍特有の構造デス、これ。

 

 

旧佐伯海軍航空隊と掩体壕について

 

昭和6年2月、海軍省が九州東海岸に航空隊を設置することを決定し、佐伯はその有力候補地として、 町の発展を願い盛んに誘致活動を展開していきました。その結果、立地条件の優位により、同年8月に佐伯海軍航空隊の設置が決まりました。


以来、女島沖・長島一帯・濃霞山周辺までの約40万坪もの広大な区域が海軍航空隊の用地として 整備されていきました。 この工事には、地元の人々を中心に千人を超える労働者が従事したといわれ、昭和9年2月15日に 佐伯海軍航空隊が正式に開隊し、飛行場が設置され、西側の中江川沿いには戦闘機の格納庫・指揮所などが並び、 基地の中枢を担っておりました。
 

昭和16年11月には、ハワイ真珠湾攻撃に先立ち、佐伯湾で連合艦隊の統一訓練が行われており、 本基地が太平洋戦争の開戦に大きく関わっていたことが分かります。
 

昭和20年ごろになると進攻作戦に転じた米軍の空襲が次第に激しくなってきました。 そのため待機中の戦闘機を米軍の爆撃から守り退避させるための掩体壕が、本飛行場内に分散して設置されました。この掩体壕はそのうちの一基で、現有規格からして零式戦闘機又は飛燕戦闘機が格納されていたと思われます。
 

この度、貴重な戦史遺産として、文化庁の「登録有形文化財」に原簿登録されました。

 

高さ:4.5m、幅:17.32m、奥行:12.52m、天蓋壁厚さ:0.5m

 

ええと・・・

飛燕(三式戦闘機)は陸軍の戦闘機なので、海軍の飛行場(佐伯航空基地)にはいませんね。九州にいる飛燕は第6航空軍(福岡)所属だったかと。。。

 

佐伯市は昭和20年3月18日に空襲、佐伯海軍飛行場は同年5月に大規模な爆撃を受け壊滅的な被害を受けた。

 

 

佐伯飛行場は戦後、興人に払い下げられ興人佐伯工場(パルプ工場)となる。飛行場南の飛行機掩体壕群は農地になった。水上機飛行場は佐伯重工業佐伯造船所となるが、スベリなど遺構はほぼ消滅とのこと。

 

水上機飛行場は佐伯重工業佐伯造船所に。

 

 

終わり。

 

 

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佐伯防備隊

呉軍港(広島)や柱島泊地(山口)、徳山港(山口)などから外洋に出るために必ず航行するのが豊後水道。昭和14年、呉鎮守府は豊後水道防衛を強化するため佐伯防備隊を発足した。佐伯防備隊は上空哨戒・対潜哨戒と撃退を任務とした。敗戦時のデータでは豊後水道に面した島嶼部に4ヶ所の見張所(要衝には9ヶ所の防備衛所)、7ヶ所の砲台を配している。

 

船舶関連では特務艇隊(敗戦時には特設駆潜艇19隻、駆潜特務艇17隻など)、上空哨戒では所属は異なるが、佐伯航空隊(敗戦時には零式水上偵察機11型×11、94式水上偵察機12型×2、93式式陸上中間練習機×33、90式陸上機上作業練習機×1)が担当していた。

 

出典:アジア歴史センター(C08011403500) 引渡目録 佐伯防備隊 

 

 

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