[築城航空基地]②有蓋掩体壕②

 

昭和17年(1942年)10月1日、海軍築城飛行場が竣工。

艦上戦闘機補充要員養成航空隊としてとして築城海軍航空隊が開隊(第三艦隊附属)された。だが北方戦線の哨戒任務を負う実用機部隊に変貌し、昭和19年(1944年)2月20日第553海軍航空隊に改称。同年9月に第三航空艦隊が硫黄島進出したため、第553海軍航空隊は百里飛行場に転出するも10月1日に解隊した。

 

築城飛行場は昭和20年3月以降、神風特攻撃隊菊水銀河隊の出撃などに使われた。同年8月7日には米軍の空襲を受けるが、8月9日に長崎へ向かう原爆搭載のB-29に対し零戦10機を緊急発進させている。

 

戦後、同年9月に米軍が接収。昭和32年7月1日に米軍から返還され、同年10月1日に航空自衛隊築城基地が設置された。

 

出典:国土地理院ウェブサイト1947/12/15(昭23) USA-M690-23、抜粋・加工

 

築城飛行場

滑走路:1,800メートル×60メートル

掩体:中型有蓋4(現存3)、中型無蓋20、小型有蓋8、小型無蓋20

 

[築城航空基地]①有蓋掩体壕と地下通信司令部壕のつづき

 

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有蓋中型掩体壕②

築城航空基地に現存する有蓋掩体壕は3基あるが、いづれも中型機用のもので昭和19年8月頃に建設が始まった。昭和20年2月に第5航空艦隊隷下第762海軍航空隊所属の攻撃第262飛行隊が同飛行場に展開しているので、有蓋中型掩体壕は海軍の陸上爆撃機「銀河」の格納庫だろうか?


現存する有蓋掩体壕は3基とも同型同規模。開口部が向いている方向が違うだけだが、よく見ると最後部(尻)の開口の仕方が若干異なる。


①は公園化されて稲童1号として公開中、③は民家(会社)の倉庫として利用中。②は放置状態。


掩体壕②は、③の近くにある。

②と③は手つかず?(放置)された森の中にあり、特に②は③とは別の社有地に囲まれているため視界が効かず、Google MAPの航空写真をみても何処にあるのかわかりにくい。森の中は景色はほぼ同じなので方向感覚が鈍る。この森には無蓋掩体壕もあるため妙な起伏もある。春以降はヤブ蚊と蜘蛛と棘を含む藪で探索は大変そうだ。

 

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有蓋掩体壕②

背後から

 

 

覗き込む

 

うわあああああー(((o(*゚▽゚*)o)))♡

 

美しい、そして下はとっても低い

高低差5メートル?くらいありそう

 

 

コンクリート厚は50センチ超

 

では、前部に移動する

 

 

 

デカい(・∀・)

 

 

陸上爆撃機「銀河」

一式陸攻の後継機として、昭和18年11月から本格的に量産が開始された双発の爆撃機(中島飛行機製)。

全幅20m、全長(奥行)15m、全高5.3m

有蓋中型掩体壕(稲童1号)の大きさ

3基とも同じ大きさと思われるので参考まで。

・盛土幅42m、奥行き23.5m、盛土高8.5m

入口幅26.8m、入口高5.5m

・鉄筋コンクリート製

 

 

広いなぁ・・・

 

前部から最後部(尻)をみる。

少しだけある開口部が、先程覗いてみたところ。

 

中型の掩体壕なので大小の蒲鉾型ドームが縦に2つ並ぶ。

この造りは海軍の有蓋掩体壕の特徴のひとつ(陸軍の有蓋掩体壕は1つのドームで先絞りなものが多い)。

 

 

 

 

 

広角で撮ってみた

 

前部の垂れ下がり部分(庇のようなもの)の中央部、垂直尾翼が当たらないよう切れ込みが入る。これも海軍の有蓋掩体壕の特徴のひとつ。

 

 

 

 

よくみると鉄筋が・・・・

 

では、帰ります(・ω・)ノ

 

 

帰路、迷いました

GPS (Google Map)が無かったら彷徨い続けたかも・・・

ピンクリボンなど一切なし。

 

*

 

終わり

 

 

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