[佐世保要塞]前岳堡塁①15M
長崎県佐世保市横尾町
前岳堡塁
起工:明治33年4月24日
竣工:明治34年11月23日
備砲:12センチ加農砲×6門(3座6門)、15センチ臼砲×4門(2座4門)
※7センチ可能砲×2門も配備?
標高:12K→317メートル、15M→306メートル
任務:大野村十福寺南方の高地方向より、中里村方向に亘る前面の地域を射撃することを目的とす。
廃止:大正2年廃止決定→昭和4年6月14日全部除籍
出典:「現代本邦築城史 第2部 第7巻 佐世保要塞築城史」
前岳堡塁は佐世保軍港の背面防禦のために、佐世保市の北方約3キロの前岳山頂付近に築城した。昭和4年6月14日全部除籍だが、昭和23年の航空写真を見ると砲座などハッキリ見える。
前岳堡塁 1948/04/07(昭23)
出典:国土地理院 1948/04/07(昭23) USA-R244-45、抜粋
行き方は「前岳」登山と同じ(前岳の三角点=317.1mは12Kの砲側庫②の真上にある)。車道(軍道)は堡塁まで現存するが、車での通行は上記写真のPまでしか行けない。山頂付近は藪だらけ。
前岳
軍道脇に湧き水?井戸?
いつの時代のモノか?
P地点。以後、写真の右の軍道を上がれば堡塁に着くが、石組が崩れていたり倒木などもあり道は荒れ気味。
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濾過式貯水槽
軍道を登り切ると堡塁に到着。結構な高さの石組がお出迎え。石組の真下に濾過式貯水槽がある。
このまま左に進む、15M (mortar)砲座を見る。
2座4門の構成だ。
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15センチ臼砲(15M)
臼砲なので胸墻は高くなく、砲床に大きな穴を開ける必要は無い。
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15センチ臼砲(15M)
砲座①
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砲側庫①
前岳堡塁の砲側庫は12Kも15Mも構造の差異はない(左右対称くらい)。
小さめ、球状の砲側庫
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15M砲座②
15M砲側庫②
15M砲側庫①と左右対称の造り
ヲサレだ。
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外堀底(左)
最後、右にキュウっと曲がって行き止まる
戻って12K砲台に向かう。
再び、濾過式貯水槽の前を通り・・・
監守衛舎跡
基礎があるような無いような、煉瓦片は散乱している
写真で見るより実際は見通しが利くが、荒れているには間違いない。平坦地は何処もアオキなどが生え雑木林化している(+蔦)。
棲息掩蔽部がある細長い平坦地に着いたが、低木や雑草などでよく見えない。棲息掩蔽部の裏に12K砲座がある。
かきわけ、かきわけ・・・
5連の棲息掩蔽部に着いた!
つづく
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佐世保要塞
佐世保港は複雑に入り組んだ海岸線、湾内に流れる大河川が無い(土砂流入による港湾機能低下が少ない)、大型船が入港できる十分な水深があり、小高い山々に囲まれた湾口など変化に富んだ地形(港外から船舶がみえない)、港湾出口が狭い(防禦しやすい)など、「廻れば七里」と謳われた天然の良港。
明治19年4月21日、佐世保に第三海軍区鎮守府(海軍)の設置が決定され、明治22年7月1日に第三海軍区鎮守府改め「佐世保鎮守府」開庁した。明治36年11月には当地に海軍工廠を設置され、大正9年12月1日には崎辺沖の埋立地に佐世保海軍航空隊が開隊した。
佐世保軍港の作戦能力維持・増強するのに必要な諸施設を、直接防御するために佐世保要塞を築城を決定。日清戦争(明治27ー28年)の後、明治33年4月に要塞司令部を設置。明治30年9月に起工〜明治34年11月に1つの砲台と6つの堡塁を築城した。海軍は佐世保水雷団が佐世保軍港出入口に水雷を敷設している。
大正初期より佐世保軍港の防衛線を「湾口からより沖合に移動させる」見直し作業に入り、具体案は出されたが実現せず。新規で築城した江ノ島砲台(起工:昭和9年/竣工:昭和11年)と前後して、既存の砲台堡塁の整理を実現して見直し事業は終わった。
昭和11年8月、佐世保要塞司令部は廃止され、高後崎砲台・面高堡塁・小首堡塁・牽牛崎堡塁・丸出山堡塁・江ノ島砲台は長崎要塞に編合された。
出典:「現代本邦築城史 第2部 第7巻 佐世保要塞築城史」
①高後崎砲台
起工:明治30年9月13日
竣工:明治31年12月31日
備砲:斯加式9センチ速射加農砲×4門
標高:12.8メートル
廃止:大正8年要塞整理にて廃止に分類→大正12年復活→昭和8年廃止決定/昭和10年備砲撤去/昭和12年2月20日全部除籍
②石原岳堡塁
起工:明治30年10月21日
竣工:明治32年12月31日
備砲:克式中心軸35口径10センチ加農砲×6門、9センチ臼砲×4門
標高:10K→77.1メートル、9臼→74.6メートル
廃止:大正2年要塞整理にて廃止に分類→昭和4年6月14日全部除籍
③面高堡塁
起工:明治30年9月10日
竣工:明治33年8月3日
備砲:28センチ榴弾砲×4門、斯加式12センチ速射加農砲×4門、9㎝臼砲×2門
標高:28榴→72メートル、12速K→71.6メートル、9臼→74.6メートル
廃止:大正8年要塞整理にて28榴と9臼廃止に分類→昭和8年修正計量要領にて全部廃止に分類→昭和9年8月20日一部除籍/昭和12年2月20日大部分を除籍
④小首堡塁
起工:明治31年6月6日
竣工:明治33年9月12日
備砲:克式中心軸35口径24センチ加農砲×4門、克式前心軸35口径15センチ加農砲×2門
標高:24K→118メートル、15K→121.5メートル
廃止:大正8年要塞整理にて廃止に分類→大正12年に復活→昭和8年修正計量要領にて24加廃止→昭和12年2月20日24加除籍/昭和17年2月10日全部廃止/同年4月15加撤去
⑤牽牛崎堡塁
起工:明治32年(1899年)7月26日
竣工:明治34年(1901年)9月25日
備砲:28センチ榴弾砲×6門、12センチ加農砲×4門、15cm臼砲×4門
標高:28榴→56メートル、12K→52.6メートル、15臼→55.5メートル
廃止:大正要塞整理にて廃止に分類→昭和9年8月20日一部除籍/昭和12年2月20日全部除籍/昭和16年3月28榴撤去
起工:明治31年11月28日
竣工:明治34年11月10日
備砲:28センチ榴弾砲×4門、克式中心軸35口径24センチ加農砲×4門
標高:28榴→116メートル、24K→137.75メートル
廃止:大正8年要塞整理にて15センチ速射加農4門に改む→昭和8年修正計量要領にて廃止決定/昭和12年2月20日一部除籍(28センチ榴弾砲×4門は演習砲台として残置)
⑦前岳堡塁
起工:明治33年4月24日
竣工:明治34年11月23日
備砲:12センチ加農砲×6門、15センチ臼砲×4門
標高:12K→317メートル、15臼→306メートル
廃止:大正2年廃止決定→昭和4年6月14日全部除籍
⑧江ノ島砲台←後日加筆予定
起工:昭和9年8月21日
竣工:昭和11年2月29日
備砲:45式修正15センチ加農砲×4門
標高:42〜49メートル
廃止:昭和17年2月10日廃止→昭和17年4月備砲撤去/昭和18年3月27日建屋類以外を除籍