川南工業浦之崎造船所(解体後)

佐賀県伊万里市山代町立岩79付近

 

川南工業

長崎県西彼杵郡香焼村にあった松尾造船所を、製缶工場で財を成した川南豊作が周囲の土地ごと造船所を買収、昭和11年(1936年)に川南工業を設立し造船業に参入した。

 

全て乾ドックでの建造を行い、主力工場の香焼島造船所では1万トンのドック3基、10万トンのドック1基を有し、大東亜戦争時には、第28号型駆潜艇やコストの安い戦時標準船を大量建造した。地領丸、後の初代南極観測船「宗谷」は香焼島造船所で建造された。

 

浦之崎造船所は、昭和15年4月にソーダ工場から軍需工場へと転換させられ、造船所になった。ここで。101型/103型輸送艦、海龍、回天などを大量建造している。

 

同社は艦船の設計能力に乏しいため、戦後は休眠状態にあり昭和29年(1954年)に破産宣告した。

 

昭和33年(1958年)に強制和議の認可を受けて企業再開。会社幹部がクーデター未遂事件(三無事件)などがあり、昭和37年(1962年)に昭和重工に商号変更がゴタゴタは続き翌年向山炭鉱は閉山。昭和重工も昭和46年(1971年)再破産した。3つの造船所のうち、買収されなかった浦之崎造船所は、利権関係の絡み?で長らく廃墟のままだったが、2010年に地元の要望により解体されてしまった。

川南工業浦之崎造船所の廃墟を紹介したブログは沢山あるが、「スゴロク #021 川南工業浦之崎造船所」が詳しいので、こちらを参照していただければ。

 

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対岸の波多津町あぐり山の山頂から、川南工業の各造船所と向山炭鉱跡地(いずれも更地)がみえたので行ってみた。造船所跡地に隣接する場所が浚渫土砂埋め立て地になっている。

 

跡地は緑地公園になる予定とのことだが、草ボーボーの更地だった。埋め立て地との一体活用を考えているのかな?地盤沈下で思うように進まないという話を何かで読んだ気がするが、さて。

 

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門柱と塀

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川南工業浦之崎造船所がここにあった痕跡は以上。

 

向山炭鉱の海中櫓は嵐で倒壊してしまった。。。

 

 

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