[広島湾要塞]三高山堡塁①首堡塁(北)

広島県江田島市沖美町美能(創造の森森林公園)

※後日加筆予定

 

奈佐美瀬戸西方/能美島防禦

三高山堡塁(西能美島)

起工:明治32年3月9日

竣工:明治34年3月7日

備砲:28センチ榴弾砲×6門(1座2門)、9センチ臼砲×4門(1座2門)、9センチ速射加農砲×4門(1座2門)

標高:385メートル(28H)、386メートル(9M)、385メートル(9速K)

任務:榴弾砲は砲戦諸砲台堡塁と協力して、海峡の前方一帯の海面を射撃し、叉其の軽砲を以て堡塁東南の地帯を射撃す。

廃止:大正10年9月(大正15年10月呉鎮守府に移管)

 

出典:『現代本邦築城史』第2部第19巻「広島湾要塞築城史」

 

 

三高山堡塁が築城されたのは三高山だが、堡塁築城後は「砲台山」が通名になり、何時しか国土地理院の地図表記は砲台山になった。堡塁廃止後、大東亜戦争前より無線基地や投射台が設置された。戦後、日本土木遺産に認定され創造の森森林公園として整備されているので、砲台へは車で行ける。

 

三高山堡塁は北部砲台と南部砲台に分かれている。陸軍省「元工兵第3方面より三高山堡塁建築の件」を読むと、北部砲台(28H)は「首堡塁」南部砲台は「付属堡塁」と書かれている。

 

 

 

駐車場は弾廠などがあった建屋があったところ。

遺構は・・ない。

 

ここから陸軍省では「首堡塁」と呼ぶ北部砲台(28センチ榴弾砲の砲台)に行く。石柱列はオリジナルっぽい。

 

 

 

28センチ榴弾砲の砲座配置図(首堡塁)

出典:アジア歴史センター(C10071718600) 陸軍省「第2諮問事項に関する調査」

 

1座2門の配置

同型の砲座が一列に3コ並ぶ。

曲射砲(榴弾砲や臼砲)の砲座なのに胸墻が低い。

 

正面口から第2砲座に到着。

28Hの砲座は計3コなので真ん中に着くように設計されている。

 

28センチ榴弾砲

出典:佐山二郎「機関砲 続要塞砲」p.264より抜粋

 

 

 

伝声管は斜め切りタイプ

 

第2砲座と3砲座の間にある砲側庫

突き当たりは左翼観測所

 

 

 

第3砲座付属の砲側庫に入ってみる(・∀・)

砲側庫は全て同型、砲座も同型・・・・

 

突き当たりは左翼観測所

 

 

出入口に付けられていた鉄扉は盗まれている

 

丸みをおびたドーム型

 

換気孔

地上部はこんな感じ

 

 

排水対策も万全

 

 

では、左翼観測所へGO(・ω・)ノ

 

 

左翼観測所の掩蔽部(通信室/指令室)がある

 

 

前面が・・・・破壊されている(。・ω・。)

 

デカい伝声管だ

上部の観測所とつながっている。

 

伝声管内部には木板が縦に貼られていた痕跡あり

東京湾要塞の猿島砲台の揚弾井みたいだ。

 

東京湾要塞猿島砲台の揚弾井

 

 

では観測所へ

 

測遠機は武式測遠機

 

出典:浄法寺朝美「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」、p.75より抜粋

 

 

 

明治時代の砲台には、観測所の隣に砲台長位置(小隊長位置)があるが、三高山堡塁の左翼観測所には無い。右翼観測所にはあるが・・・

 

 

 

観測所付近から第3砲座を見下ろす

 

背墻部下段(砲側庫の背面部分)にも即用弾置場が展開している。

 

胸墻を一直線に歩いて、右翼観測所に行く。

 

 

右翼観測所は円盤が残っている(・∀・)

 

 

砲台長(小隊長)位置

 

では右翼観測所へ

 

 

 

こちらも左翼観測所同様、武式測遠機を設置していた。

 

 

では、兵舎に移動!

 

*

兵舎近くの便所の遺構

 

 

兵舎(右)と煉瓦の遺構

煉瓦は監守衛舎の炊事場の遺構

 

 

 

 

 

兵舎からの眺め

 

 

つづく

 

 

*

広島湾要塞

呉軍港と宇品港がある広島湾には多くの島々があるが、多くの海峡で艦船の航行が可能だった。敵艦船の防圧を担うために、明治30年3月〜明治36年12月までの間に7つの砲台と6つの堡塁で構成される広島湾要塞が築城された。

 

明治20年計画当初は広島湾要塞、明治26年の防御計画策定時に呉広要塞から呉要塞と名称変更、建設中の明治36年から広島湾要塞、広島湾要塞廃止直後の大正15年から呉要塞、と名称変更が激しい(もう少し細かく変わっているようだが割愛)。

 

出典:『現代本邦築城史』第2部第19巻「広島湾要塞築城史」

 

日露戦争では全砲台が戦闘位置についた。その後、砲の技術向上などで射程距離が伸びたことなど複合要因により、瀬戸内海の封鎖は瀬戸内海そのものに入る豊後水道・関門海峡・紀伊水道を抑えれば良いことになった。これら海峡に豊予要塞(豊後水道)、下関要塞(関門海峡)、由良要塞(紀淡海峡)が築城されたことにより、瀬戸内海の内側にある広島湾要塞や芸予要塞は大正14年〜15年8月に廃止された。

 

 

出典:『現代本邦築城史』第2部第19巻「広島湾要塞築城史」

 

厳島海峡/奈佐美瀬戸防禦

大那沙美島砲台(大奈佐美島)

起工:明治30年3月20日

竣工:明治33年3月31日

備砲:24センチ加農砲×4門

廃止:大正15年6月(大正15年10月呉鎮守府に移管)

 

奈佐美瀬戸西方/能美島防禦

鶴原山堡塁(西能美島)

起工:明治30年5月20日

竣工:明治33年3月31日

備砲:24センチ加農砲×6門、9センチ加農砲×2門、

廃止:大正15年6月(大正15年10月呉鎮守府に移管)

 

厳島海峡防禦

鷹ノ巣低砲台(厳島/宮島)

起工:明治30年8月21日

竣工:明治33年3月31日

備砲:27センチ加農砲×4門、9センチ加農砲4門(1座2門)

廃止:大正15年6月(大正15年8月陸軍第5師団経理部に移管)

 

奈佐美瀬戸/奈佐美瀬戸西方防禦

岸根鼻砲台(西能美島)

起工:明治31年6月

竣工:明治33年9月

備砲:27センチ加農砲×4門、斯加式9センチ加農砲×4門(1座2門)

廃止:大正15年6月(大正15年10月呉鎮守府に移管)

 

厳島海峡防禦

鷹ノ巣高砲台(厳島/宮島)

起工:明治31年7月21日

竣工:明治33年3月31日

備砲:28センチ榴弾砲×6門(1座2門)

廃止:大正15年6月(大正15年8月陸軍第5師団経理部に移管)

 

大野瀬戸防禦

室浜砲台(厳島/宮島)

起工:明治31年10月11日

竣工:明治32年3月31日

備砲:斯加式9センチ速射加農砲×4門(1門2座)

廃止:大正15年6月(大正15年10月内務省に移管)

 

奈佐美瀬戸西方/能美島防禦

三高山堡塁(西能美島)

起工:明治32年3月9日

竣工:明治34年3月7日

備砲:28センチ榴弾砲×6門(1座2門)、9センチ臼砲×4門(1座2門)、9センチ速射加農砲×4門(1座2門)

廃止:大正10年9月(大正15年10月呉鎮守府に移管)

 

早瀬瀬戸防禦

大君低砲台(西能美島)

起工:明治32年5月16日

竣工:明治33年6月30日

備砲:12センチ加農砲×4門(1座2門)

廃止:大正15年6月(大正15年10月呉鎮守府に移管、但し大正14年に一部を陸軍第5師団に移管)

 

早瀬瀬戸防禦

早瀬第1堡塁(倉橋島)

起工:明治32年10月7日

竣工:明治34年3月31日

備砲:28センチ榴弾砲×6門(1座2門)

廃止:大正8年8月

 

倉橋島防禦

早瀬第2堡塁(倉橋島)

起工:明治32年10月

竣工:明治33年8月(第2)/明治34年3月(第1)

備砲:9センチ加農砲×6門(1座2門)、9センチ臼砲×4門

廃止:大正10年9月

 

音戸瀬戸防禦

休石砲台(呉)

起工:明治33年9月15日

竣工:明治34年3月31日

備砲:9センチ速射加農砲×2門(1座2門)

廃止:大正15年6月

 

音戸瀬戸/広方向防禦

高烏堡塁(呉)

起工:明治33年12月25日

竣工:明治35年6月30日

備砲:28センチ榴弾砲×6門(1座2門)、速射野砲×2門(1座2門)

廃止:大正8年8月

 

広方向防禦

大空山堡塁(呉)

起工:明治35年4月11日

竣工:明治36年12月28日

備砲(未配備):28センチ榴弾砲×4門(1座2門)、速射野砲×6門

廃止:大正8年8月(大正15年10月呉鎮守府に移管)

 

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