佐世保要塞石原岳堡塁①棲息掩蔽部や砲台など

長崎県西海市西海町横瀬郷

※後日、写真を追加等します!

 

②石原岳堡塁

起工:明治30年10月21日

竣工:明治32年12月31日

備砲:克式中心軸35口径10センチ加農砲×6門(砲座3)、9センチ臼砲×4門(砲座4)

標高:10K→77.1メートル、9M(9臼)→74.6メートル

目的:此の堡塁は一般首線を虚空蔵山に向け、瀬川村横瀬方面より面高村方向に亘る前面の地域を射撃し、以て背後にある面高堡塁、高後崎砲台及び水雷衛所等を掩護す

廃止:大正2年要塞整理にて廃止に分類→昭和4年6月14日全部除籍

 

出典:「現代本邦築城史 第2部 第7巻 佐世保要塞築城史」

 

佐世保要塞で2番目に竣工(32年12月)した砲台。

 

横瀬から面高山にかけての地域を制圧しつつ、佐世保要塞の砲台堡塁群を防禦する目的でつくられた。この堡塁で特筆するのは、堡塁全体を高い土塁と深い外堀で囲み、その外堀の東南東と南西の角にカポニエール(側防窖室)が設置されている。堡塁への唯一の出入口は突角堡から。総石造りでまるで中世の城塞のよう。

 

ロシア帝国の旅順要塞二龍山堡塁に似ている。

 

出典:「歴史群像」2021.8(No.168)、P.15より抜粋

 

 

公園化で出入口の突角堡部分の胸墻は破壊されている。

 

 

門柱

1本のみ現存

 

 

 

唯一の出入口から堡塁に入ると、上から砲座、中段に砲側庫(出入口は反対側)、その下部に棲息掩蔽部があり、横一列に配置されている。突角堡から砲側庫と砲座をつなぐスロープの橋(階段)は、戦後、補修されている。

 

右翼側

 

 

 

 

公園化した時に浄水場を設置したようだ。

往時は個々に何があったのかは不明・・・・

 

 

 

では、棲息掩蔽部から

9部屋が横一直線に並んでいる

 

 

 

 

 

 

 

特筆すべく事項の無い一般的な部屋(多目的ルーム)

 

隣室とは奥でつながっている

 

行政様が塞いだ(T_T)

 

ひとつだけ向きが違う(井戸)

 

 

では1段上がって、砲側庫をみる

 

 

砲側庫

 

砲側庫は3箇所

第1号〜3号まで番号が付けられている

 

 

 

換気孔

 

 

 

10K砲座(克式中心軸35口径10センチ加農砲)

1座2門の配置

 

 

出典:佐山二郎「要塞砲」p.52抜粋

 

 

右翼の10K砲台

 

9臼砲座(9センチ臼砲×4門)

1座1門。石原岳堡塁内で9臼砲座とわかるのは2座しかない。

1座2門だったのか?2門は予備だったのか?←不明

 

9センチ臼砲

出典:佐山二郎「機関砲 要塞砲 続」p.173より抜粋

 

 

 

 

 

つづく

 

 

目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(その他)

 

* * *

佐世保要塞

佐世保港は複雑に入り組んだ海岸線、湾内に流れる大河川が無い(土砂流入による港湾機能低下が少ない)、大型船が入港できる十分な水深があり、小高い山々に囲まれた湾口など変化に富んだ地形(港外から船舶がみえない)、港湾出口が狭い(防禦しやすい)など、「廻れば七里」と謳われた天然の良港。

 

明治19年4月21日、佐世保に第三海軍区鎮守府(海軍)の設置が決定され、明治22年7月1日に第三海軍区鎮守府改め「佐世保鎮守府」開庁した。明治36年11月には当地に海軍工廠を設置され、大正9年12月1日には崎辺沖の埋立地に佐世保海軍航空隊が開隊した。

 

佐世保軍港の作戦能力維持・増強するのに必要な諸施設を、直接防御するために佐世保要塞を築城を決定。日清戦争(明治27ー28年)の後、明治33年4月に要塞司令部を設置。明治30年9月に起工〜明治34年11月に1つの砲台と6つの堡塁を築城した。海軍は佐世保水雷団が佐世保軍港出入口に水雷を敷設している。

 

大正初期より佐世保軍港の防衛線を「湾口からより沖合に移動させる」見直し作業に入り、具体案は出されたが実現せず。新規で築城した江ノ島砲台(起工:昭和9年/竣工:昭和11年)と前後して、既存の砲台堡塁の整理を実現して見直し事業は終わった。

 

昭和11年8月、佐世保要塞司令部は廃止され、高後崎砲台・面高堡塁・小首堡塁・牽牛崎堡塁・丸出山堡塁・江ノ島砲台は長崎要塞に編合された。

 

 

出典:「現代本邦築城史 第2部 第7巻 佐世保要塞築城史」

 

①高後崎砲台←後日加筆予定

起工:明治30年9月13日

竣工:明治31年12月31日

備砲:斯加式9センチ速射加農砲×4門

標高:12.8メートル

廃止:大正8年要塞整理にて廃止に分類→大正12年復活→昭和8年廃止決定/昭和10年備砲撤去/昭和12年2月20日全部除籍

 

②石原岳堡塁

起工:明治30年10月21日

竣工:明治32年12月31日

備砲:克式中心軸35口径10センチ加農砲×6門、9センチ臼砲×4門

標高:10K→77.1メートル、9臼→74.6メートル

廃止:大正2年要塞整理にて廃止に分類→昭和4年6月14日全部除籍

 

③面高堡塁←後日UP予定

起工:明治30年9月10日

竣工:明治33年8月3日

備砲:28センチ榴弾砲×4門、斯加式12センチ速射加農砲×4門、9㎝臼砲×2門

標高:28榴→72メートル、12速K→71.6メートル、9臼→74.6メートル

廃止:大正8年要塞整理にて28榴と9臼廃止に分類→昭和8年修正計量要領にて全部廃止に分類→昭和9年8月20日一部除籍/昭和12年2月20日大部分を除籍
 

④小首堡塁

起工:明治31年6月6日

竣工:明治33年9月12日

備砲:克式中心軸35口径24センチ加農砲×4門、克式前心軸35口径15センチ加農砲×2門

標高:24K→118メートル、15K→121.5メートル

廃止:大正8年要塞整理にて廃止に分類→大正12年に復活→昭和8年修正計量要領にて24加廃止→昭和12年2月20日24加除籍/昭和17年2月10日全部廃止/同年4月15加撤去

 

⑤牽牛崎堡塁

起工:明治32年(1899年)7月26日

竣工:明治34年(1901年)9月25日

備砲:28センチ榴弾砲×6門、12センチ加農砲×4門、15cm臼砲×4門

標高:28榴→56メートル、12K→52.6メートル、15臼→55.5メートル

廃止:大正要塞整理にて廃止に分類→昭和9年8月20日一部除籍/昭和12年2月20日全部除籍/昭和16年3月28榴撤去

 

丸出山堡塁←後日加筆予定

起工:明治31年11月28日

竣工:明治34年11月10日

備砲:28センチ榴弾砲×4門、克式中心軸35口径24センチ加農砲×4門

標高:28榴→116メートル、24K→137.75メートル

廃止:大正8年要塞整理にて15センチ速射加農4門に改む→昭和8年修正計量要領にて廃止決定/昭和12年2月20日一部除籍(28センチ榴弾砲×4門は演習砲台として残置)

 

⑦前岳堡塁←後日UP予定

起工:明治33年4月24日

竣工:明治34年11月23日

備砲:12センチ加農砲×6門、15センチ臼砲×4門

標高:12K→317メートル、15臼→306メートル

廃止:大正2年廃止決定→昭和4年6月14日全部除籍

 

⑧江ノ島砲台←後日UP予定

起工:昭和9年8月21日

竣工:昭和11年2月29日

備砲:45式修正15センチ加農砲×4門

標高:42〜49メートル

廃止:昭和17年2月10日廃止→昭和17年4月備砲撤去/昭和18年3月27日建屋類以外を除籍

 

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