[姫路海軍航空基地/鶉野飛行場]①滑走路と無蓋掩体壕
兵庫県加西市鶉野町(河西郡九会村・下里村)
姫路海軍航空隊と川西航空機株式会社姫路製作所鶉野組立工場が共同で使用した飛行場。姫路空は艦上攻撃機要員の訓練部隊、川西は局地戦闘機紫電および紫電改を製造した。鶉野飛行場の滑走路の大半、周辺の耐弾施設などは現存しているが、当地には川西の遺構はほぼ無い。
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鶉野飛行場(姫路海軍基地)
滑走路:1,200m × 60m→1本
転圧滑走路:1,200m × 60m→2本
出典:加西市「鶉野飛行場跡ガイドブック」より
出典:加西市「鶉野飛行場跡ガイドブック」より、加筆
昭和18年10月:姫路海軍航空隊開隊
昭和19年5月:姫路基地(鶉野飛行場)完成
昭和19年8月:川西航空機株式会社姫路製作所鶉野組立工場落成
昭和19年12月より局地戦闘機「紫電」生産/446機製造
昭和20年3月より局地戦闘機「紫電改」生産/44機製造
昭和20年2月:神風特別攻撃隊「白鷺隊」編成(3月23日に大分県宇佐に移駐)
昭和20年3月:川西、工場秘匿名称「神武秋津工場」
昭和20年3月:第1001海軍航空隊姫路派遣隊が輸送業務を開始
昭和20年3月:西宮海軍航空隊から分遺隊が滑走路や掩体壕の設営に携わる
昭和20年4月:川西「神武秋津工場」、疎開開始
昭和20年5月:5日、姫路海軍航空隊復帰
姫路海軍航空基地を決號作戰の作戦航空基地に指定。戦闘指揮所を飯盛山に設営。各種耐弾施設等の設営が開始される。
昭和20年6月:川西、工場秘匿名称「神武秋津工場」空襲
昭和20年7月:川西、工場秘匿名称「神武秋津工場」海軍第2軍需工廠に譲渡
昭和20年7月:戦闘指揮所がある飯盛山、鶉野飛行場一帯が空襲を受ける(4回?)
昭和20年8月終戦時:
現存していた航空機
紫電57機、紫電改13機(他に未完6機)、零式練戦3機。白菊1機、彗星1機、銀河1機、90式陸練1機、陸軍高連1機、93式中練2機
出典:アジア歴史センター「姫路海軍航空基地」武器還納目録8月31日現在(1)より
鶉野飛行場滑走路
川西航空機が主に使用していた1,200m×45mが現存している。
2018年に、この滑走路上に「格納庫」などをつくって、格納庫には紫電改のレプリカが展示されている。
床を見ると貴重なオリジナルのコンクリートでは無く、まっさらなコンクリートを打設されている。なんだかなぁ・・・・
このままにしておいて欲しかった。格納庫は誘導路の脇につくるのに、なぜ滑走路上に建屋をつくるのだろう?なんだかなぁ・・・・(2回目)
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無蓋掩体壕
鶉野飛行場では、無蓋掩体壕ばかり中型10/小型45基つくられた、とのこと。現存するのは7基とのこと。
SNJ-5(テキサン)が色を塗り替えられて置かれている。
なぜ、ここに米軍機のテキサンを置くのだろう??
内径約21m前後×17m前後の馬蹄形の土塁。
出入口は約10m
つづく
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