[鳴門要塞/由良要塞]門崎砲台(穹窖砲台)②

兵庫県南あわじ市福良丙

 

前回の訪問記録→[鳴門要塞]門崎砲台

 

24K穹窖砲台(右翼)全景

 

説明会、24K右翼砲台に向かう・・・

ヲイヲイ、そのコンクリート片は何なんだ?

 

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たまやさん(@tamaya8901)の投稿の写真を見ると・・・

 

往時は2連(右翼・左翼)の穹窖砲台、とわかる。

当然、盛り土と植林をして偽装もばっちり!

右翼側は今回の発掘で日の目を見たが、左翼側は上に管轄外の灯台が建っているため、埋まったままである(発掘する予定無し)。たまやさんの往時の写真は大変参考になりました!ありがとうございます(・∀・)

 

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この穹窖砲台は戦後、一時的に観光地となった。
当時の写真をみると、右翼・左翼とも面影が残っている
 
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現地説明会
「危険なので」の一点張りで立入制限が厳しく、周辺を歩いてまわることはできない。チラシ(簡単な資料)以上のことを質問しても答えられない。周囲にいた戦跡好きの方々の方が知識が豊富・・・ ( ̄‥ ̄a;)
 
 
門崎砲台24K右翼砲台(穹窖砲台)
無筋の固練りコンクリート製。
竣工後、天井部に鉄筋コンクリートを補強で入れ、盛り土の滑落防止に庇を付けた。
 
 
資料によるとサイズはこんな感じ
砲室:幅13メートル、奥行14メートル、高さ5メートル
出入口部分は壁がないので、戦後、米軍に爆破されたと思われる。
 
内部も立入禁止!で、ここからみるしかない
(崩壊の危険とのこと・・・ソウデスカ、ソウデスカ)
周囲も立入禁止!
(砲室を遠目にみるだけ)
 
仕方が無いので望遠で撮る
 
内部、24Kの旋回用溝は近くでみたかった。
噂では溝に目盛と数字が彫られて?いるらしい。
軌条を固定する金具も残っているらしい。
 
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ここの備砲は克式(クルップ式)前心軸35口径24センチ加農砲(24K)
克式前心軸35口径24センチ加農砲は、日清戦争!の時に威海衛要塞で鹵獲したもの。もっともそのままで使用するのではなく、日本で加工修正はおこなわれている。当初は27センチ加農砲を置く予定だった、とか。
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左翼砲台との境、煉瓦製支柱をコンクリート製支柱に付替した部分
戦争末期に施工したせいか、コンクリートの質が悪いのか鉄筋が細く横筋が無いようにみえる。横筋は針金程度だったのかな。戦後に建てられた建屋(道の駅うずしお)の重さに耐えられなかったのか、ボロボロになっている。
 
市役所職員氏が言うには「砂のようになっていてる。発掘後の雨で砂化したコンクリートがどんどん流れ落ちている」とな。
 
 
戦後の観光地時代はまだ柱はフツーに建っていたので、よほど粗悪な工事だったのだろう。
 
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オモテにまわる
おおおおおおお!
 
 
 
 
天井の穴について。
(内部に入ることも出来ず、上から見ることも出来ず、の説明会なので自分の目で確認できず)
①終戦間際、加農砲の排煙抜きのために開けた穴
②戦後、米軍の爆破した
・・・・・・・・・・と言われたのだが。

3D画像でもみたけど、元々あった換気孔じゃないのかな。。

戦後、この孔を利用して米軍が爆破したのかもしれないけど。

 

庇は竣工後に付けたもの。

戦時中に迷彩塗装をしていたような跡がある。

 

米軍の破壊というより、ドリルで一生懸命に削ったあとにみえるのだが。

 

正面のコンクリートは大変美しい。

砲口のコンクリートの厚いこと!

 

カーブの描き方が優美(・∀・)

 

排水対策もバッチリ!

砕石→砂→土管、という感じで構成されている

 

 

竣工後に取り付けたアゴ(砲口下の台座)

 

右翼砲台と左翼砲台、おっぱいのように並んでいた(^o^)

前出の「たまやさん(@tamaya8901)」の投稿の古い写真通り。

 

左翼砲台の前部、かなり削られている

 

砲口から無理矢理に即弾室入口を撮影

 

 

あーあ、内部に入りたかったなぁ。

 

では、戻りますか。

 

この穹窖砲台の上に盛り土をしたとはいえ、下記の建屋(道の駅うずしお)があったとは驚き!阪神淡路大震災もあったのに。

 

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対岸(徳島県孫崎)から門崎砲台をみてみよう!

 

灯台の右、神社があるところ辺りに観測所があったのかな。

 

道の駅うずしお、があった時の写真

 

 

終わり

 

 

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追記(2024.4.9)

穹窖砲台、オリジナルの場所から消えた模様(。・ω・。)

 

 

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