[釜口八幡神社/奉納]7.5糎加農砲身(発条式)、砲弾

兵庫県淡路市町釜口1935

 

創立年代不詳。

御祭神は品蛇別命

明治6年(1873年)、村社に列せられる。

 

足利尊氏は釜口沖に風待ちのため船を泊めていた時、隣の妙勝寺(釜口八幡神社)で足利尊氏が、太刀一振りを寄進して必勝を祈願した、と伝わる。約百日後に楠木正成軍との「湊川の戦い」で大勝した。

 

 

足利尊氏が必勝を祈願した釜口八幡神社の宮司は、楠木正成が自決する前に身に着けていたお守りを祀った松帆神社の宮司も兼ねている。

 

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忠魂碑

石材の忠魂碑が建っている。

四隅に置かれている砲弾も石材・・・・

 

陸軍と海軍のマーク入り

 

旧忠魂碑

7糎半速射加農砲身(空気圧式)の砲身で、現忠霊塔の横に砲弾と共に置かれている。

 

出典:佐山二郎「要塞砲」p.35、抜粋

 

海軍の艦載砲、多分、ロシア帝国製カネー式50口径75mmだろう。ロシア帝国の艦載砲(副砲)で、一部は旅順要塞などの海岸砲として設置された。

 

ロシア帝国製(ライセンス生産)カネー式50口径75mm単装砲

75-мм пушка Канэと推測される。

 

日露戦争後、日本陸軍が旅順要塞から鹵獲して「7糎半速射加農砲」として各要塞に整備したが、後年、下附されたようだ。

 

7糎半速射加農砲(空気圧式)

忠魂碑/陸軍大将鈴木荘六書/昭和七年十月建之

 

 

砲弾は安式十二吋加農砲か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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