[諏訪神社/奉納]7.5糎クルップ砲

大阪府大阪市城東区諏訪2-15-16

 

 

旧社格:村社

主祭神:建御名方刀美命、八坂刀売之命

創建:不明。境内にある1番古い石灯籠には「承和3年(836年)4月寄進」と刻まれている。

 

特記:

①延喜元年(901年)に福岡県の太宰府に左遷される菅原道真が途中で当社に立ち寄り、参拝したと伝わる。菅公が座ったと伝わる腰掛石が現存。

②天正18年(1590年)に豊臣秀吉が大坂城天守閣から「森の様に木が生い茂っていた当社」が目に留まり参拝した所、小田原攻めに勝利。雄と雌の一対の総毛の獅子を奉納したとされる。雄獅子は明治18年の淀川洪水で流失も、雌獅子と雄獅子の複製は現存している。

 

秀吉の「小田原攻め勝利」の御利益をあやかるためか、戦絡みの奉納が少なくない。

 

 

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日露戦役凱旋紀念碑

明治39年4月建立

 

 

 

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7.5糎クルップ砲、詳細不明な砲弾

 

 

 

 

FRIED. KRUPP ESSEN A/R. No.2

 

 

 

 

"FRIED. KRUPP  ESSEN 1880"

1880年(明治13年)製のクルップ砲ですな。

 

 

 

 

 

 

台座(石)に何か彫られているが・・・

「明治二年五月官軍攻五稜郭此其所用巨砲之一也」

 

いやいやいやいや・・・・

明治2年って西暦1869年・・・・・

上に乗っているクラップ砲は1880年(明治13年)製と刻印されているし。

 

だから、この台座の文字を真に受けて「五稜郭攻めに官軍が使用したクルップ製の大砲」なる記載がされるのね。

函館の五稜郭公園の兵糧庫の前に、新政府軍の軍艦「朝陽」の艦載砲である、ドイツ製クルップ砲(1860年製?)とされるものが露天展示されているので、なんとなく流れからこういう話になったのかも。

 

朝陽は函館海戦で七重浜付近にて旧幕府軍の軍艦「蟠龍」に撃沈された。昭和7年に七重浜埋め立て工事の際に砲が発見された。砲は亀田八幡宮に奉納され、戦後、函館市立博物館に寄贈されたようだ。

台座に彫られた五稜郭の巨砲って、なんだろう?

気になる(・∀・)

 

 

下の大きな台座にも何かが彫られている。

「御成婚記念 大正十三年一月二十六日」

昭和天皇の御成婚(大正13年1月26日)記念ですね。

 

で、裏には・・・・奉納社の名前

 

このクルップ砲、どこから下附されたのだろうか。

 

日清戦争の鹵獲品?

(旅順と威海衛の要塞砲台にはクルップ式山砲など配備)

 

日清戦争時の日本陸軍は、克式7.5センチ野砲、9センチ/15センチ臼砲等だったと思う。日本海軍は日清戦争前の明治21年(1888年)の海軍兵器会議で、新造中の諸艦の艦載砲はクルップ砲(七拇五克砲)から新型12センチ砲(アームストロング速射砲)を装備すべしと決めた。諏訪神社のクルップ砲は、この時に下ろされ奉納されたクルップ砲なのかもしれない。

 

と、籠谷次郎『日清戦争の「戦利品」と学校・社寺 ーーその配布についての考察ーー』(同志社大学リポジトリ)によれば、大阪府内の配布先一覧表があるが、諏訪神社は含まれていない。諏訪神社のクルップ砲は戦利品(鹵獲品)ではないようだ。

 

いづれにせよ、昭和天皇御成婚記念の台座、「明治二年五月官軍攻五稜郭此其所用巨砲之一也」の台座、どちらとも奉納クルップ砲とは無関係なのかもしれない。

 

結論、よくわからない(×_×)

 

 

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