[函館/津軽要塞]御殿山第1砲台

北海道函館市函館山

 

函館要塞函館港の防禦を目的とした要塞で、陸軍の薬師山砲台(堡塁)/御殿山第1砲台/御殿山第2砲台/千畳敷砲台/立待保塁、海軍の機雷などで構成される。大正8年の要塞整理案で、津軽海峡を防備するため津軽要塞が新たに設置され、廃止されずに存続した函館要塞の一部(御殿山第2砲台/千畳敷砲台の一部/立待保塁)を吸収した。

 

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御殿山第1砲台

・起工:明治31年(1898年)6月25日

・竣工:明治33年(1900年)10月31日

・備砲:28センチ榴弾砲×4門(砲座2)

・標高:336.5メートル

・任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り

・廃止:大正5年(1916年)10月全部除籍

 

函館山(13山)の最高峰、御殿山の山頂につくられた。現在の函館山ロープウェイ山頂駅から展望台〜電波塔が建つ一帯が砲台の敷地だった。

 

出典:国土地理院 1948/04/23(昭23) USA-R250-59、抜粋・加工

 

地上部分では、NHK送信所の下に砲座の一部がみえるのみ。

地下部分では、山頂駐車場(STV送信所裏)の下に、砲台施設(掩蔽部)が残っている。

 

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砲台入口

 

右翼観測所への階段があるが・・・・

 

階段の奥はロープウェイ機械室(T_T)

 

STV送信所裏の駐車場の下

 

 

 

掩蔽部入口

 

 

右の塞がれた出入口(隧道)は弾薬庫に延びていたらしい。

 

 

右に兵舎がある。

兵舎と廊下は掩蔽

 

 

兵舎をチラ見

 

 

 

換気孔がデカい!

上の行楽施設建設の際、土砂をここから捨てたのだろうよ

 

 

とりあえず、最奥を見たいので兵舎を一旦、出る

 

 

 

露天の広場に出た。

(NHK送信所裏の駐車場が蓋をする格好になっているので暗いが)

広場に面する掩蔽部は3つ(指揮官室/指揮官付属/兵舎)。広場には階段もあったが塞がれている。

 

 

 

 

駐車場の支柱が神殿の柱のようにみえる

 

左の金庫室みたいな扉が付いている掩蔽部が指揮官室らしい。

 

 

広場から兵舎を見る

 

 

再び兵舎へGO!

 

 

どデカい換気孔(3つ)から、土砂が入り混んだ。

 

 

 

 

 

振り返る

 

 

出ますか!

 

 

 

 

 

 

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第2砲座

28センチ榴弾砲の砲座(2門配備)

NHK送信所の階段基礎部に、胸墻とその下部に即弾室がみえる。

 

 

 

 

第2砲座

28センチ榴弾砲(1砲座に2門設置)

現在は写真奥からTVh&HBC送信所、NHK送信所が建ってしまっている

出典:北海道新聞2003年3月14日朝刊(縮小版)

 

 

送信所裏の駐車場の下にお宝が眠っている・・・・・

 

 

 

終わり

 

 

目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(その他)

 

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函館要塞(明治期)

 

函館山は海底火山の噴火による噴出物が積み重なってできた島で、約5000年前には対岸とつながった陸繋島となった。函館山なる山はなく13のこぶ山が連なった総称。

 

 

南下政策をとるロシアから函館港を防御することを目的に、要塞地帯法によって明治31年(1898年)から約7年かけて、函館山全体に大小5カ所の砲台、観測所や戦闘指令所、電燈など、要塞施設がつくられた。

 

明治37年の日露戦争時、ロシア帝国海軍ウラジオストク艦隊の軍事挑発を阻止できず北海道が孤立混乱したが、要塞からは1発の砲弾も発射されることはなかった。ただし要塞の存在がロシア帝国海軍の攻撃の抑止力になっていたのは間違いないだろう。

 

 

出典:函館要塞跡散策マップ

 

出典:国土地理院 1944/10/26(昭19) 912J51 C4 108、抜粋

 

出典:現代本邦築城史 第2部第8巻

 

薬師山砲台(堡塁)

・起工:明治31年(1898年)6月25日

・竣工:明治32年(1899年)10月30日

・備砲:15センチ臼砲×4門(砲座2)

・標高:247.5メートル

・任務:函館港内及び函館地峡を射撃し御殿山堡塁(構築取り止め)と相候て御殿山第一砲台を掩護す

・廃止:大正5年(1916年)10月全部除籍

 

御殿山第1砲台

・起工:明治31年(1898年)6月25日

・竣工:明治33年(1900年)10月31日

・備砲:28センチ榴弾砲×4門(砲座2)

・標高:336.5メートル

・任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り

・廃止:大正5年(1916年)10月全部除籍

 

御殿山第2砲台

・起工:明治31年(1898年)9月3日

・竣工:明治34年(1901年)2月28日

・備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)

・標高:294.5メートル

・任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り

・特記:昭和3年(1928年)8月に御殿山演習砲台に用途変更

 

千畳敷砲台

・起工:明治31年(1898年)9月15日

・竣工:明治34年(1901年)1月29日

・備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)、15センチ臼砲×4門(砲座2)

・標高:28榴297.5メートル、15臼296メートル

・任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り

・廃止:要塞整理で15臼撤去、28センチ榴弾砲2門減(昭和9年10月に更に一部除籍)

 

立待堡塁

・起工:明治34年(1901年)9月4日

・竣工:明治35年(1902年)10月30日

・備砲:9センチ加農砲×4門(砲座2)

・標高:92.6メートル

・任務:函館地峡を縦射し且つ函館山の東北面を側防す

・廃止:昭和11年(1936年)7月全部除籍

 

出典:現代本邦築城史 第2部第8巻