Q基地/大浦突撃隊大迫支隊

広島県呉市倉橋町大迫14024

 

Q基地とは海軍陸戦隊の特四式内火艇(島嶼部での水陸両用装軌車)=カツ車の訓練基地のこと。基地で唯一の遺構がこの桟橋。カツ車の装気桟橋という説もある。終戦までは桟橋は3つあったが9月17日の台風で破損(消滅)したとのこと。

 

 

桟橋はコンクリート製長方形のブロックを積み、路面にコンクリート舗装しただけのもの。

 

 

台風被害で壊滅した桟橋跡

 

 

潮が満ちると沈む。

 

特殊潜航艇「蛟竜」-高橋春雄・海軍の自分史-6.倉橋島基地(大浦突撃隊)に、昭和53年11月の突堤の写真あり。

 

Q基地では、三菱重工業東京機器製作所によって開発が進められたカツ車の試作品4隻が配備され、甲標的の搭乗員を充当した。カツ車は乗員5名で潜水艦から発進し、補給物資を内陸部まで輸送することを目的とした。

 

特四式内火艇1型(カツ車)

 

潜水艦9隻に特四式内火艇を各2隻ずつ積み、奇襲作戦を実施するための訓練を行った。Q基地は情島(倉橋島の東)につくられたが、昭和19年4月に倉橋島大迫に移転した。

 

昭和19年5月27日の海軍記念日に実施が予定された竜巻作戦に併せて訓練した。柱島泊地で実験訓練では、特四式内火艇は、空冷ディーゼル・エンジンの騒音が激しい(行動の秘匿性の問題)、低速、履帯の強度不足など性能上の欠陥が露呈し、実戦で使う兵器としては問題有りとして、実戦(竜巻作戦)は中止になった。

フィリピン方面への進出が計画されるも、輸送中の事故や空襲で到着せず。水陸両用魚雷艇としての運用も実現せず。昭和20年5月までに特攻隊「特四式襲撃隊」を4~5隊編制した。終戦時には横須賀鎮守府隷下の2隊が千葉に、第33突撃隊隷下の2隊が串良と志布志に展開していた。

カツ車の生産数は1型(潜水艦搭載型)49両、2型(潜水艦非搭載型)は1両。諸説在り。

 

竜巻作戦が中止になると、対岸にある倉橋島大浦崎のP基地(特殊潜航艇丁型"蛟龍")の訓練生用宿舎が作られた。訓練生はQ基地からP基地まで機動艇で通った。

 

 

Q基地の桟橋からP基地を見る

 

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P基地には呉海軍工廠の分廠があり、蛟竜を建造していたようだ。

 

出典:アジア歴史センター(C08011420800)昭和20年8月31日現在 引渡目録(施設)大浦嵐隊 海軍省

 

昭和20年3月、Q基地は大浦突撃隊大迫支隊と改称。訓練はP基地、宿舎は旧Q基地となり宿舎として開発された。終戦時には6棟の宿舎があったようだ。

 

現在は宿舎の遺構はない。

 

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旧Q基地

出典:アジア歴史センター(C08011420800)昭和20年8月31日現在 引渡目録(施設)大浦嵐隊 海軍省

 

 

参考資料

小高正稔/鮎川置太郎共著「グランドパワー2017年9月号日本軍水陸両用戦車」ガリレオ出版

 

 

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