花巻防空監視哨(聴音壕/集音壕)

岩手県花巻市若葉町2-14-16

 

出典:国土地理院 1948/05/15(昭23) USA-R1424-44、抜粋

 

東北・北海道で現存する唯一の聴音壕とのこと。

 

この聴音壕、戦時中は盛り土による「小山」に埋まっていた。

火山のような感じ(火口が聴音壕)

戦後、盛り土を取り除いたため、聴音壕は露出している。

 

 

聴音壕

直径3.5メートル、高さ3.17メートル、深さ約2メートル

レンガ積み(基礎部はコンクリート)

上部は集音しやすいようにラッパ状に開いている。

内部は腰掛けるためのコンクリート台が4つ、鉄製の梯子があるのみ。

 

 

 

 

往時は聴音壕の周囲を盛り土し、壕内には壕内の梯子で出入りをした。

何本かの柱で支えた建て茅葺きの上屋があった。

 

 

 

戦時中、24時間3交代制。1班5人編成で分担制。

地域差はあるが分担は、日中は2名が双眼鏡で空を監視(夜間は1名)、2〜3名は聴音壕内で飛行機の音を聴き飛んでいる方向や機種を判断、1名は通信士、とのこと。通信士はキャッチした情報本部(地域の監視隊本部=県警の管轄)に伝えた

 

 

哨員は尋常高等小学校の卒業者の中から、特に聴覚と視力の良い男女が選ばれた。機種の判別は手引き書、音による機種の判別(戦闘機や爆撃機等の区別)は録音されたレコードで学んだ。哨員は慣れてくるとほぼ的中した、とのこと。

 

壕内は様々な音が遮られ、飛行機の爆音が増幅されて聞こえやすかったようだ。

 

 

聴音壕の西側には平屋の詰所(約18坪/約60平米)があった。

出典:国土地理院 1976/09/07(昭51) CTO766-C38-17、抜粋

 

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昭和16年に対空監視強化のため防空監視隊令が公布され、都道府県は防空計画を策定した。監視総本部を県庁に、防空監視隊本部を主要都市に置いた。その下部組織として域内に防空監視哨を設け、地域から選抜された哨員により監視を行った。

 

 

 

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こちらは軍部の聴音機

海軍の照聴所に設置されたもの

最大追聴距離15,000m/最大補聴距離10,000m

出典:工藤洋三『徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡』P.28から抜粋

 

参考まで。

 

 

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聴音壕から徒歩10分ほどの所に 北東金属 という会社がある。

創業は昭和16年(1941年)4月とのこと。

 

 

ぱっと見、戦前から操業しているであろう佇まい。

門柱も渋い。

 

門柱がボコっているので、花巻空襲の被害を受けた痕跡かもしれない。

 

 

よくみると専用線(引き込み線)もあったようだ。

 

 

花巻空襲

昭和20年8月10日、米海軍の航空母艦ハンコックの艦載機22機(SB2C爆撃機12機とF6F戦闘機10機)により、500ポンド爆弾等が20発以上投下された。花巻駅や、その周辺の旅館、住宅などの建物は破壊された。北東金属の被害状況は不明。

 

花巻空襲を撮影した航空写真

 

 

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