[伊勢防備隊](答志島)平射砲台(北)

三重県鳥羽市答志町亜須浜

 

日本陸軍は昭和19年7月頃から「浜名湖西〜渥美半島〜志摩半島/伊勢」のラインに本土決戦用の防御陣地の構築を行った。

 

一方、海軍も横須賀鎮守府伊勢防備隊(本部:相島=ミキモト真珠島)が、志摩半島〜相島(ミキモト真珠島)〜阪手島(板手島)〜答志島〜神島〜伊良湖半島先端に、3つの水平砲台(平射砲台)と7つの機銃砲台を構築している。他、志摩半島と答志島において、第4特攻戦隊(伊勢湾部隊)・第13嵐部隊・第19嵐部隊等が配置され、蛟龍や海龍や回天(未配備)、震洋などの特攻基地を構築した。浜島航空基地には第4特攻戦隊が置かれた。

 

答志島は伊勢湾の鳥羽港から北東約2.5キロの沖合に浮かぶ伊勢湾最大の離島。

陸軍が構築した陣地壕、海軍が構築した水平(平射)砲台と機銃砲台がある他、島を横断する陸軍道路や海軍道路など戦跡は沢山あるが、あまり調査されていないようだ。崩落して消滅した戦跡も多い。答志島に配備されたのは第13嵐部隊と伊勢防備隊。

 

出典:三重県歴史教育者協議会「三重県の戦争遺跡 増補改訂版」P.148

出典:海軍「志摩半島方面海面砲台関係書類」引渡目録

 

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答志島水平(平射)砲台

引渡目録によれば答志島には2ヶ所あり、いづれも14センチ砲が各1門、計2門設置されている。下記に記す砥石山山腹の水平(平射)砲台は、穹窖砲台(洞窟砲台)なので、もう1ヶ所の岡取山にあると思われる水平(平射)砲台も同じ穹窖砲台と思われる。

 

砥石山山頂から南東約250メートルの東向き斜面に構築された。

あまり程度の良くないハイキング道から勘を働かせて獣道に逸れていく。

 

 

旧軍の貯水槽?をみつけたら、その先に穹窖砲台がある(・∀・)

 

ちらっと砲郭がみえる\(^O^)/

 

手前の倒木を乗り越えて、っと

 

おおおおおおおお!(・∀・)

 

 

コンクリート製の砲廓

幅5メートル×長さ6.4メートル×高さ2.9メートルの坑道

 

 

砲郭の最奥の坑道は土砂崩れで崩落。

ここに弾薬庫、待避壕、出入口があるはず(一般的な穹窖砲台ならば)。

 

 

砲床は完全に埋まっているので確認できず。

 

天井には1メートル四方の四角の穴、牽引のアレですな。

 

 

 

 

備砲の「14糎砲」は重巡洋艦の副砲、軽巡洋艦の主砲で、これを陸戦用に転用した。

 

50口径3年式14センチ砲(戦艦陸奥)

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出典:靖国神社「遊就館」、撮影は私

 

答志島では戦後、台座を外して鉄工所で台として使っていたという話があるらしい。砲身は答志島の北東にある小築海島の沖に捨てられたまま。

 

 

砲口が向く景色

 

では戻ろう(・ω・)ノ

 

 

 

引渡目録によれば、答志島には14センチ砲身が2門、あったようだ。

出典:海軍「志摩半島方面海面砲台関係書類」引渡目録

 

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志摩半島(三重県)〜伊良湖岬(愛知県)の海軍の陣地

出典:海軍「志摩半島方面海面砲台関係書類」引渡目録

出典:海軍「志摩半島方面海面砲台関係書類」引渡目録

出典:海軍「志摩半島方面海面砲台関係書類」引渡目録

 

伊勢防備隊

伊良湖岬水平砲台:14センチ砲×2

伊良湖岬機銃砲台:25ミリ連装機銃×2、25ミリ単装機銃×3

神島水平砲台:14センチ砲×2

神島機銃砲台:25ミリ単装機銃×3

答志島水平砲台:14センチ砲×2

答志島機銃砲台:25ミリ単装機銃×3

阪手島機銃砲台:25ミリ単装機銃×2

相島機銃砲台:25ミリ連装機銃×2、12ミリ機銃×2

第4楠部隊司令部裏機銃砲台:25ミリ単装機銃×2

現権堂崎機銃砲台:25ミリ単装機銃×2

 

陸軍:

出典:三重県歴史教育者協議会「三重県の戦争遺跡 増補改訂版」P.220

 

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