[函館/津軽要塞]御殿山第2砲台②砲座・観測所
北海道函館市函館山
起工:明治31年(1898年)9月
竣工:明治34年(1901年)2月
備砲:28センチ榴弾砲×6門(砲座3)
標高:294.5メートル
観測所:左翼、右翼、砲台鏡、応式分置観測所(入江山)
任務:(御殿山第1/第2/千畳敷共通)其の全周囲を射撃し互いに協力して敵艦を遠距離に扼支し以て其の砲撃に対し勉めて函館港内を掩護するに在り
特記:昭和3年(1928年)8月に御殿山演習砲台に用途変更。3番砲座が廃止され4門体制で終戦を迎えた。
出典:国土地理院 1948/04/23(昭23) USA R250 58、抜粋・加工
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終戦後、アメリカ陸海軍合同機関である United States Strategic Bombing Survey(USSBS) が、昭和20年10月14日に撮影した御殿山演習砲台(御殿山第2砲台改め)。
左翼から撮影した1番・2番砲台と右翼観測所の写真。
(28榴の砲身が切り取られ無力化されている)
出典:Final report. Report No. 106a, USSBS Index Section 2-13
MKNJ様「要塞探訪」御殿山第二砲台から拝借いたしました。
ありがとうございました!
28榴のレプリカ(芸予要塞)
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右翼観測所(跡地)
探索ルートでは掩蔽部の上と右翼観測所跡地の間を通る。
右翼観測所の測遠機の型は不明
跡形もなし
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1番砲座
1砲座に(28榴)2門を配備。同じものが3セットあり(3砲座6門)。
昭和3年(1928年)8月に御殿山演習砲台に用途変更の際、演習砲台の砲座になる。
下記の写真は、大正11年7月に行われた函館重砲兵大隊による実弾射撃演習を記念して、規光堂写真店が撮影した。この演習には裕仁親王(昭和天皇)が行啓している。28榴は完全な姿で映っている。
出典:函館市立中央図書館
伝声管もバッチリ
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地下砲側庫
砲座と砲座の間に土塁があり、その下に砲側庫がある
こちらは3番砲座の地下砲側庫
こちらは3番砲座の地下砲側庫を上から見た
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2番砲座
1砲座に(28榴)2門を配備。同じものが3セットあり(3砲座6門)。
昭和3年(1928年)8月に御殿山演習砲台に用途変更の際、演習砲台の砲座になる。
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砲座の背後の土塁をあがる
第2砲台から第1砲台(電波塔の山)をみる
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砲台鏡観測所へ
左翼観測所へ
第3砲座を背にして進むと突き当たる。
右の階段を上がれば「左翼観測所」、左の階段を上がり軍道を道なりに進めば「砲台鏡観測所」と演習砲台時代に新設した「遠距離観測所」に行ける。砲台鏡観測所/遠距離観測所(88式海岸射撃具観測所)への道は通行禁止だが、そもそも残土は捨てられているわ、石垣は崩壊しつつあるわ、激藪すぎて進めないし。
砲台鏡観測所の竣工はいつかはわからないが、除籍の通達資料は残っていた。
出典:アジア歴史センター(C01003862400)演習砲台新営工事の件
付録には簡単な位置も記載されている。
出典:アジア歴史センター(C01003862400)演習砲台新営工事の件
なわけで別ルートから攻めて探し当てた。
砲台鏡観測所 跡地(と思われる)
コンクリート片っぽいものを見つけたが、何せ藪過ぎてよくわからず。演習砲台用の遠距離観測所(88式海岸射撃具観測所)は発見!→後述します
砲台鏡観測所とあるように砲台鏡が置かれていた。
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左翼観測所へ
左脇の「砲台長位置」?に行ってみる
藪過ぎてよくわからないが、円形のコンクリート壁っぽいものがあるような、気がした。
左翼観測所は破壊され、跡地に四阿が新たにつくられていた。
左翼観測所は武(ブラッチャリーニ)式測遠機が置かれていた。
では戻りマス
御殿山第2砲台は、昭和3年(1928年)に「津軽要塞」の演習砲台として残置された。ただし編成は28糎榴弾砲4門(3番砲座は廃止された)。
御殿山第二砲台が演習砲台になると、つつじ山の砲台鏡観測所が廃止されて、遠距離観測用の観測所(88式海岸射撃員観測所)が新設された。
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